闇に羞恥は溶けさった






風のない、静かな夜ほど、胸がざわめくようになったのはいつからだったろう?






食料庫の片隅、山積みにされた粉袋や木樽の物影に隠れるように、そのランプは置かれている。
メリー号乗船当時からそのランプは常備されており、サニー号に移ってからも尚、いざという時に使えるようにと保管されていた。
東の海《イースト・ブルー》から赤い土の大陸《レッドライン》を超え、そして偉大なる航路《グランドライン》での数多くの死闘を知る、物言わぬ小さな仲間の一人だ。

サニー号に移ってからは有能な船大工が乗船したことで航海中での不測な事態にも素早い対象がなされるようになり、使用される頻度は急激に減ってしまった。
うっすらと埃をかぶり、闇に紛れて緩やかな波間に揺れるその小さな仲間の存在は、少しずつ、皆の中から忘れ去られつつあった…。

夜も深まった大海原にぽつんと停泊するサニー号。風も無風で船の揺れは殆どなく、しかも春島の気候海域に入っているらしく寝苦しさは全く感じられなかった。
見張り番である剣士以外は既に床へ就いていてもおかしくない時刻。いや、もしかしたら剣士ですら眠気に誘われるままに船をこぎ始めているかもしれない。


―― そんな静かな夜更けに、うごめく影が、ひとつ。


気配を消し、音を立てないよう慎重に動く影は甲板から船尾側の2階へとあがり、キッチンへの扉を開いた。
キッチンを素通りし、その足は真っ直ぐ食料庫の方へと向かっていく。最小限の軋み音をあげて開かれた扉の間をするりと影が侵入し、そして閉じられた。
船尾側の覗き窓からはぼんやりと薄白い月明かりが射してはいるものの範囲は広くなく、足元などは闇に覆われ影は慎重に光の傍まで歩を進める。
もう一歩進めば光のあたる場所に出られるという所で、影はより深く闇を湛える部屋の隅へと溶けこんでしまった。

気配すら消え去って、シンと静まる食料庫。そこへ小高い波がやってきて船全体を軽く揺さぶった。
同時に僅かな硬質音を立てた、埃纏うランプに、暗闇からスッと手が伸ばされた。

コトリ…。
ランプはその手に導かれるままふわりと宙に浮いて、幾つか並んだ木樽の一つへと降ろされた。
硝子のフタを慎重に開くその手が、小さな覗き窓から差し込む月明かりの下に照らし出されると、その手は驚いたように一瞬動きを止めてしまう。空気が、ざわりと震えた。

―― 淡い白乳色の光を纏った自身の手を闇の中からじっと見つめる瞳が…ひとつ。

光を纏うことに驚き、そして怯えを感じたその影はじっくりと時間をかけて光に自身を慣れさせた。
ざわついた空気が徐々に先ほどまでの静けさを取り戻す頃、影……彼は、無意識に詰めてしまっていた息を開放した。

ランプの中を覗き込み芯に充分オイルが染み込んでいるのを確認すると、彼はポケットからマッチ箱を取り出して一本のマッチに素早く火を点した。
途端、手元を中心にして闇にオレンジ色の灯りが広がっていく。


(…もう、気付いただろうか?)

たった今誕生したばかりの小さな火種をぼんやりと眺めながらも周囲の気配にひどく意識を集中させている自分がいて、フッと口角を釣り上げる。
自嘲的な笑みを浮かべた彼は、火を消さないよう手を添え、肩を竦ませた。


(…バッカみてぇ…、)

腰を軽く屈み、マッチの火が消えてしまわぬよう慎重にランプの芯へと導いていく。落ち着きなく揺れる小さな火は、まるで自分の心境を表しているようだと思いながら。
マッチの先が芯に触れるか触れないかの所で火種はランプへと受け継がれ、心許なかったマッチの火は煌々と燃え盛り、ランプの灯りは食料庫全体をより鮮明に映し出した…。
熱を帯びて熱くなったガラス戸を火傷しないように締めようとした時、自分の金色の髪がキラキラと其処に浮かび上がって…

―― サンジは、すくっと立ち上がった。

(…これが、合図)

オレと、あいつを結ぶ、


灯火《みちしるべ》


程なくして、扉は開かれた。

「はいるぞ、」
「…入り終わってから言うセリフか?それ…」
「しし、それもそーだなっ」

相変わらずのこいつらしい呑気な返事にいつもの事とはいえ呆れてしまう。
これから此処で何が起こるか、こいつが知らないワケねぇってのに…

(…って、こいつにムードを求めること自体が間違いか、)

そう一人納得していると、急に腕を組んで頷きだしたオレを不審に思ったであろうそいつは、ずいと顔を寄せてオレの目を覗き込んできた。黒曜石のように澄んだ闇を称える瞳に、ランプのオレンジとオレ自身が映し出され、息を呑んだ。
身長差から、向こうから見上げられる形であるはずなのに、この瞳を前にすると射竦められてしまう。

一目散にこの場から逃げ出してしまいたいと思う。
いっそのこと、この瞳に捕らえられてしまえたらとも思う。

(…どーかしてるぜ、まったく…)

「…サンジ?」

僅かに戸惑いの色を滲ませた目の前の男に、フッと息をついてから自身のネクタイに指を引っ掛けた。
以前、おれが解いてみたいと言い出して試しにやらせてみた所、ネクタイを一つダメにしてしまった事を思い出した。
触れば触るほど固くなる不思議ネクタイだ、なんてほざくコイツを、赤面しながらも蹴り飛ばし、結局ハサミで切る以外術がなかった。

(息苦しいわ、これからって時にムードぶち壊してくれるわ、とにかく最悪だったな…)

シュル…。
布の擦れる音と共にオレの襟首から滑り落ちたネクタイ。
気にすることなく片手でボタンを一つ二つと外していけば、男は嬉しそうに歯を見せ、ゆっくり顔を近付けてきた。

初めは伺うように、そっと触れてはオレの目を覗き込み、問題ないと判断すれば其処からは手加減がない。
ヌルリと差し込まれた舌がオレのそれを捕らえ、絡み付く。
唾液を吸われ、そして与えられ…互いの口元が涎でべたべたになっていても、コイツが満足しない限りはこの行為に終わりは来ない。

口内を好き勝手に暴れ、蹂躙される感覚には大分場数をこなしてきているとはいえなかなか慣れるものではない。

(…突っ込まれてる方がよっぽどマシかもな…その頃には理性も程よく吹っ飛んじまってる…)

コイツはキスの最中、目を開けていることが多い。忠告しても一向に正そうとしない。
何故閉じないのかと訪ねたら、
『おれで感じて、だんだんとろけた顔になってくサンジを見ていたいから』と答えられた。

(それを見られたくねえから、閉じろっつってんだよ…)

止む気配のない甘い口付けの最中、足腰から力が抜けてきたサンジを、あらかじめ敷いておいたタオルケットの上へと横たえ、シャツの間に手を滑り込ませる。
首筋から鎖骨の辺りをしばらく行き来していた指先は、少しずつ奥へと進んでいく。

「…、っ…」

−コリッと。
僅かながらもしっかりと自己主張してみせる其処に指先が当たって、反射的に声が漏れた。口を塞がれているためそれは小さな呻きにしかならなかったが。
その声に、上に跨がっていた男は腕を突き、上体を起こして目尻を下げた。

「…サンジの乳首、ちっせぇのにすげぇビンカンだよな」
「っ、…ぅっせえ、」
「そういや、胸ポケットによくタバコしまってっけど、それは平気なのか?」

…それは暗に、“ケースで擦れて感じたりはしないのか?”と、問われているんだろうか…?

「…アホいってんじゃねえよ、テメェはまたムードぶち壊す気か…?」
「むっ、仕方ねぇだろ?気になっちまったもんは…」
「無機物の刺激でコーフンするような青臭ぇガキと一緒にすんじゃねぇ。…これで解ったか?」
「うーん、なんとなぁく、わかった。」
「そりゃ良かった、…ほら、さっさと続けろ。」

コイツとの会話は時々ファールボールが飛んでくる。
その度、的確に次の打球を指示しなければならないキャッチャーの気持ちを少しは汲んでほしいものだ

(まだオレは…、おまえほど、この“行為”に余裕が見出せねぇでいる…
ひん剥かれてる間も、おまえの前で肌をさらしてる間だって、バカみてぇに緊張してるってのに…)

開かれたシャツ、ランプの光に照らし出された肌の上を、幾分か小麦色の強い指先が肌のめりはりを楽しむように撫でていく。
その感触から逃れるかのように身をよじるサンジ。その度、咎めるような口調で名を呼ばれ、サンジは渋々と其方に目を向ける。

自分を見下ろすその瞳には、明らかな情欲の色が宿っていて、熱っぽい目線を前にしてサンジは目を逸らしたい気持ちを必死に堪える。

「…、サンジ、」

スッと顔が寄ってきて、何をされるかと身構えたサンジ。
サンジの耳元に寄せられたソレは、

「…ランプの下で見るサンジ、」

“すげぇ、キレイだ”


酷く擦れた声音が直接耳へと送り込まれ、身震いしたサンジもまた、たまらなく身体が熱くなっていくのを感じていた。

(オレを追い上げる術ばかり、身に付けやがって…っ)

食い尽くされるような激しい口付けのあとに、やわやわと遠慮がちに触れられる身体。
直接的な部分には気紛れ程度にしか触れない癖に、リップサービスは大盤振る舞いときた。

早くこの湧き上がる熱を散らしてほしい…、焦れていく心と身体は、ただ闇雲にその男を欲していた。



「……ッ、ルフィ…ーッ!」



離れていく男の名を一際強く呼び止めれば、サンジを見詰めていた目は優しく細められて…


「…やっと、呼んだな?」

“呼ばれんの…ずっと待ってたんだぞ?”


涙目でこちらを見上げるサンジをルフィはかかえ起こし、ぎゅっと力強く抱き締めた。
ランプの影で青白くみえるサンジの首筋に鼻先をこすり寄せて、そっと呟く。



「…ランプの灯りが“合意”の証でも、」

「でも、たまにでいい。
訊きてぇんだ…、」

―― “おれ”が欲しいんだって、
サンジの想いを……その口から、訊きたい。



その言葉にぴくりと反応してみせた
サンジは、しばし考えるような間を置いてから腕をゆっくりと持ち上げた。

伸ばされた先には、煌々とオレンジに輝くランプの光。
サンジはランプの硝子戸を開いて、首を伸ばしてランプの炎を吹き消した。

ボォッという音と共に闇が辺りを支配する。月明かりのみがぼんやりと二人の姿を映し出した。
サンジの行動をじっと見ていたルフィは、無情にもその役目を奪われてしまったランプに残念そうに目蓋を閉じてから、サンジに向かって情けなく笑みを浮かべた。

「わりぃ、また雰囲気損ね」

ちまったか…?と続けようとしたルフィだったが、サンジが急に体当たりするかのように勢いよくルフィを押し倒しその上に跨がってきたのでギョッとした様子でサンジを見上げた。
サンジは機嫌が悪いどころか、くつくつと悪戯が成功した子供のように笑って、そして、ゆっくりとルフィに覆い被さって、驚いたまま固まっているルフィに、そっと囁く。




光を蹴って、

闇に囁くように、




「…おまえが欲しいよ、ルフィ、」

“建て前なんて、もう、クソくらえだ……!”




重なる二つの影は、

闇に溶けて、一つになった。



END

《1》

一味に内緒で密やかに行われる裏事情的な?()
でもルフィって内緒事出来そうにないから、とっくにバラしてそうですね…。