糖度は控えめに 3





それほど時間を掛けず戻ってきたルフィ。
なにやら上機嫌でみんなを集めたソイツは開口一番に、

『宴なんだけどちょっと早めに始めねぇか?…いや、せっかくだし今から始めねー?』

と、そう唐突な提案をしてきたのだった。
ルフィの提案はほぼ決定事項になる傾向があるため、食材の準備をするコックのオレの忙しさは尋常ではなかった。
右に左にと慌てふためくオレを見るにみかねたナミさんやロビンちゃん、ウソップやチョッパーも準備を手伝ってくれて、何とかルフィの希望通り夕方前には宴の準備は整いそうだった。


「つーか、急かしたテメェが何寛いでんだよっ!!!!」
「ぶへっ!!!!」

芝生甲板でノビノビと寝転がっていたゴム人間を力の限り蹴り上げれば、宙をふわりと舞ってから甲板へと落下する。
打撃の効かないゴム人間の癖に、「いたたた…」と痛がりながら起き上がったルフィ。
オレは腰を屈めてルフィの首に腕を回した。


・・・モチロン、締めるために。

「ガッ、…はン、ジッ!はい、入っ…って…グっ」
「なぁ〜ルフィ〜…?オレの手伝い、してくれるよな?」
「わ、っ…ガッ、する、するからっ!!」
「よーしイイ子だ。…さっさと働けクソゴム!!!!」

入りかけていた首の締め付けを解いて、おもいっきりケツを蹴り飛ばせば、反対側の壁でバウンドして目の前で前のめりに倒れこんだ。
フンと息を吐いてから立ち去ろうとすれば、足元に違和感を感じて目線を下へと落とす。

「なんだ、その手は…」
「サンジ…今日の宴終わってから、時間ねーか?」
「あぁ?」
「ほんのちょっとでいいから、時間くれ」

子犬が構って欲しいと懇願するような目線を向けられて、忙しさから頭に血が昇っていた自分のボルテージが徐々に下がるのを感じた。
はぁ…と深く息を吐いてからもう一度腰を屈め、ルフィの腕を掴み立ち上がらせた。
返事を求めるように上目遣いでオレを見つめるルフィの頭にポンと手を置いて、

「どうせ片付けしねーといけなくなるだろうし、やりながらでいいなら空けといてやる」
「…そっか!じゃ、そんときでっ!!」

で、何手伝えばいいんだ?と首を傾げたルフィ。
ルフィの髪をくしゃりと撫でてから、じゃあ着いて来いとキッチンへと誘導する。
腰に腕を巻き付かせ、楽しみだな〜と嬉しそうに語るルフィはいつもと変わらない。しいて気になるといえば、出かける前よりも何処か浮かれているような気がするぐらいだ。
それに、チョコケーキの件に関してもオレからの特別な想いが込められたものだと気付いた様子はない。なら、それならそれで構わなかった。


(コイツが喜んでくれてんなら、それで十分だ。)

さぁこれから忙しくなるぞと自分に活を入れ、ダイニングへの扉を開くのだった。




―* * *―



急遽、日も暮れない時刻から始まった久々の宴は大いに盛り上がり、美味い酒、美味い飯に酔いしれたクルー達。
宵も深まろうという頃あたりから酔い潰れるメンバーが続出し、キリもいいだろうと早々にお開きとなった。

最後まで片付けを手伝ってくれたナミさんとフランキーが部屋へと戻り、ざわざわと浮き足立っていた船内に静けさが戻る頃
オレはダイニングで一人、銜えたタバコの端をガジガジと噛み潰しながらルフィを待っていた。

「・・・遅ぇ。」

皿洗い、ゴミの分別、酒瓶および酒樽の回収、そして掃除。一通りの片付けは終わってしまった。…が、ルフィは来ない。
ついでに明日の朝食の仕込みも済ませてしまった。…それでも、まだルフィは来ない。
する事がなくなってしまったオレは、自分用に淹れたコーヒーを片手にルフィが現れるのをじっと待っているわけなんだが…。

「…アイツ、自分で言っといて忘れてんじゃねーのか???」


―― 在り得る。ルフィなら在り得すぎて困る。

宴の最中、元々弱い癖にペースも考えず酒をあおるアイツが、今日に限って珍しく抑え気味に飲んでいた。
一番に酔い潰れる候補のアイツが宴の最後まで起きていたことにみんなが驚いたものだ。だからてっきり、


(テメェの言った事を覚えてたからこそ、潰れねーよう控えてたんだとばかり思ったんだがなぁ)

考えすぎだったのか、と銜えたタバコを灰皿に押し付けカウンターから立ち上がる。
アイツが来ないんじゃここに残る意味がない。もうすぐ日を跨ぐ時刻になるし、正直今日一日買い物から急な宴の準備にと、疲れがかなり溜まっていた。

「寝る、か…。」

疲れを意識した途端、自然と欠伸が零れ出し身体も疲れを訴えかけてくる。固くなった肩を揉み解しながらダイニングの扉に手をかけた。
が、掴んだとばかりおもったノブが急に姿を消し、瞬間、身体全体に受けた強い衝撃に思わずよろめいてしまった。
同じタイミングで外側から扉が開かれたのだ。

「おぉサンジ、遅くなった!…なにやってんだ?扉の前で」
「オマエとぶつかったんだよ!!気付けバカっ!!」

あぁそっかそっか、道理で一瞬真っ暗になったんだな!と豪快に笑ってみせるルフィに、怒りがふつふつと込み上げるのを感じた。
だいたい、宴が終わってから何時間経ってると思ってんだこのクソザル。その間さんざ待たされつづけた結果、このアホ面で笑われる屈辱…!
言いたいことは山ほどあったが、やはり身体は正直で怒りよりも今は眠気の方が勝っているため湧き上がった怒りも眠気を感じればパッと飛散していった。

「あー…悪いルフィ、オレ眠すぎて今ヤベェんだ。時間空けろっての、明日でも…」
「ダメだ!」

即断されたオレはチッと舌打ちを零し、渋々ルフィをダイニングへ招き入れた。
眠気でぼんやりする頭を振って、ルフィにコーヒーを勧めれば、「いらねー、すぐ済むからコッチ来い」と腕を引かれた。
肩を押さえつけられ、半ばむりやり椅子に座らされたオレは僅かに上にあるルフィをじっと睨み返した。

「ったく、何だよルフィ。」
「ししし!いーから、サンジはおれがイイって言うまで目瞑ってるんだぞ?あ、それと片手…いや、両手だな!両手を前に出せっ」
「おいおい、一体何始める気だテメェは…?」

何をされるかも分からず、そのうえ眠たさのあまり上手く働かない思考の中で警戒心はいっそう強まりなかなか言うとおりにしないオレに、
待つという行為があまり好きではないルフィがオレの両手首を掴んで強制的に突き出させるようなポーズをとらされた。
単に警戒しているだけで別に拒否しているわけではないので、手はそのままにしておけば次は髪のかかっていない左側の瞼の上にそっと指先が宛がわれゆっくり下へと降ろされる。
促されるまま素直に瞼を閉じれば、「おし、そのままな…?一応、反対も瞑っておくんだぞ」と更なる注文がされ、ここまで来たら付き合ってやるかと、反対の瞼も閉じてやった。

「いいかー?動くなよー??」
「じっとしててやっから、あんまヘンなコトすんじゃねーぞ…?」
「おぅ!」


なんだか悪戯する前のガキみてぇにやたら弾んだ返事をするもんだから、思わず身体を強張らせれば…


―― べちゃ。


「わっ!!な、なんだっ!?」
「動くなってサンジ!ずれちまうだろっ!?」
「何がだよっ、つーかなんだよ今のべちゃっての!この手に乗った感触はなんだっ!」

掌にベトリとした感触を感じて思わず飛び上がれば、ああぁあずれる、崩れる!とオレ以上に慌てるルフィの声が聴こえてきた。
視覚が奪われている所為か、他の感覚が敏感に周囲の状況を読み取ろうと働きかける。
その所為で、手に乗ったベタベタとぬるつくそれを気色悪く感じとってしまい、おもわず目を開けてしまいそうになったのだが……


(あれ・・このニオイ・・・)

視覚が奪われた、お蔭ともいうべきか…。
同時に状況を読み取ろうと働きかけた嗅覚がその正体を突き止めてしまい…

それと同時に、ルフィが今しようとしているコトにもおおよその見当がついてしまったのだ。


(なんだよ、それ。
…サルの癖に、一丁前にカッコイイことすんじゃねーか。)

強張っていた身体の力がストンと抜け落ちる。
開きそうになった瞼も、ルフィの許しが出るまでは開かないでおこうとそのまま閉じ続けた。

「あれ?サンジ急に大人しくなったな」
「あぁ。今度こそ大人しくしててやるからさっさとしろ」


―― べちゃ、べちゃ。


断続的に続く、あまり聴き続けていたくはない水気を帯びた擬音。そして手のひら全体を覆い尽くすようにかかる僅かな重み。

その重みが描く形。今日一日、散々嗅がされた甘ったるい香り。



――― 意味するものは、ただ一つ。



「うっし、できた!サンジ、もう目開けていいぞっ」



重い瞼を開いて、手のひらに視線を合わせれば思ったとおり。
コイツなりに精一杯頑張ったであろう、歪な形をしたピンク色のハートマークがそこにあった。

どういう経緯があったかは不明だが、
コイツからバレンタインチョコらしき物を貰えたという事を視覚の情報から改めて理解した途端、無性に感動を覚えてしまった。


「……。予想通りの状況とはいえ、こうしてみると感慨深いモンがあるな」
「カン、ガイ??なんだそりゃ??」
「オマエにはちっとばかし難しかったか?気にすんな。ようは感動したってコトだ」
「へぇー…ってことは、感動したのかサンジ?」
「あぁ、まぁな」


ルフィの右手にはピンク色の着色料を含んだチョコレートクリームを絞り出した形跡のある半透明の袋が握られている。
その中身すべてはおそらく、オレの両手の上にあるコレなんだろう。

ぐにゃっとした線を何度もなぞるようにして引かれたクリーム。なんとかしてハートに見せようと奮闘したのだろう跡が見てとれる。
外線の内側を埋め尽くすように、これならどうだと盛りに盛られたクリームは人肌の上で僅かに溶け出しベタベタした感触が指と指の付け根に滑り込んだ。


(コイツなりの、バレンタインチョコレート、か…)

「食い物で遊ぶな、って叱ってやりてぇ所なんだがなぁ…」
「って、感動したのに怒られんのか!?」
「本来ならな。でも生憎オレの両手はこの通り塞がっちまってる。命拾いしたな、」
「え・・・でも、サンジなら…」

と、ルフィはふとオレの足元に目をやる。
まぁそうだろう。元々オレは手より脚が先に出る方だ。手が空いてようがなかろうが関係ないと、その目線はいっているのだろう。


(…そーいう時は気付けよ、オレが本気で怒ってねぇってコトぐれぇ…。)

それどころかむしろ、おそらく人生初であろうルフィからのバレンタインチョコを
記念に絵か何かに納めて保存しておきたいぐらい、嬉しくてたまらないんだぞ?


「でも…こりゃ食うの大変だな…」
「あ、手動かすなよ?せっかく頑張って作ったのが割れちまう。」
「わーってるよ。オレ宛の想いが詰ったハートに自分でヒビ入れてどーすんだよ。」
「おお!サンジのは“特別”だからなっ!」
「ハイハイ。そんじゃ、在り難くいただくとしますか…」

形が崩れないようにそっと口元まで両手を引き寄せ、クリームのラインに沿って舌を伸ばす。
一舐めすれば濃厚な甘みのあるチョコレートが口内に拡がり、一瞬眉を顰めた。
が、甘いだけのチョコの中に微かなイチゴの酸味を感じ、それがただ着色料が入っているだけの代物ではないことを知れば、宴で若干膨れていた腹も、眠たさで上手く機能していなかった脳内も、少しずつ活性化しはじめる。

“甘いものは別腹”だとか、
“疲れた時は甘い物に限る”だとか。

正直自分には無縁だと思っていたが…

(…これはただのチョコじゃねぇ。ルフィの想いが詰ったチョコだ。
だから余計に食が進む。腹イッパイだったはずがどんどん入ってく…)

「甘過ぎるのは好きじゃねーとおもって、あんま甘くねーヤツくれ!って言ったらソレ出されたんだ。どうだ?うめぇか??」
「ん…、あぁ…悪くねェ味だ。うめぇよ、ルフィ」
「ホントか!!良かったァ〜、」

オレが食えるかどうか…そんなコトを、かなり気にしていたらしいルフィはホッとしたように破顔してみせた。
手に乗ったクリームを舌だけ伸ばして食べ進めるオレを、興味深々といった様子で見つめている。

(行儀のワリィ食い方だな。…昼前のルフィを怒ってらんねーなこれじゃ)

出来る限り舌を伸ばして舐め取っているのだが、どうしても鼻先や頬…顎の辺りをクリームで汚してしまう。
両手が塞がっている以上クリームを拭い去る手段はなく不快感に眉を寄せれば、ルフィが顔中のクリームに気付いてそっと首を伸ばしてきた。

「サンジまでチョコまみれになってんぞ?」
「知ってるよ!でも、・・・・ってオマエ、何を」
「おれもそのチョコクリーム食ってみたかったんだよな〜…ちょっとだけ、」



“舐めてもいいよな?”

中腰になったルフィが徐々に顔を近づけてきて。
オレが言われた言葉の意味を理解する間もなく…。


――― ザリッ…

顎髭部分を滑っていった暖かく湿った感触に、ビクッと大袈裟に肩を揺らし反応してしまった。

「バッ!!!…ッカ、何…やっ、て…」
「おー、甘ェ〜な!でもそんな甘くねーか」
「じゃ、なくてだなっ!!オマ、急にっ」
「あ、コッチも付いてんな…」

顎のラインを上に向かってつぅと滑るルフィの舌。
舌先がオレの頬に辿り着けば、其処についたクリームを舌で掬うように舐めとられた。

…くすぐったいのか、恥ずかしいのか…よく分からない感情に身体中の熱が上昇していく。

もはや両手の上のチョコを舐め取る余裕はなくなり、頬から鼻先へと移動を開始した縦横無尽な舌の動きにただただ翻弄され続ける。

「…る、ふぃ…や、めろって。」
「何でだ?サンジ、顔にクリーム付いちまって気持ち悪かったんだろ?」

“だから変わりにおれが取ってやってるんだ”とでも言いたいのだろうかコイツは…?
本当に…コイツは一体何処まで天然で、どこまで計算してやってるんだろうか。

鼻先、両頬、顎…そしてついに口の端についたクリームを舐め取り始めたルフィ。
其処までいくともうオレの頭ん中は真っ白になっていて、ただ一つの想いだけが脳裏を支配していく。
ただ、犬のように顔中のクリームを舐め取られただけに過ぎない。が、相手がルフィじゃこうなるのは仕方がない。

「ルフィ、…」
「・・・んぅ??」

ぼぉーっとした頭のままじっとルフィを見つめれば、舌先にクリームを乗せたまま瞳だけが此方を向いた。
その瞳が僅かに大きく見開いたかと思えば、それはゆっくりと細て…舌先にクリームを乗せたまま、ルフィが顔を寄せてくる。
クリームがオレの唇に当たる寸前で停止したルフィは“舐めるか?”と問うような眼差しをむけ、舌先をちょいちょいと軽く動かしてみせた。


(コイツ…やっぱ侮れねぇ…)

どんな誘い方してきやがるんだこのクソ野郎っ…と心の中で愚痴てみるものの。


「ン…っ、…、は、ぁ…」

進んで自らの舌を絡みつかせた辺り、この2歳年下の恋人に踊らされることを案外楽しんでいる自分もいるのだと改めて気付かされてしまった。



戯れるように互いの舌を絡ませ合えば、甘いチョコの香りが鼻から抜けていく。

甘いものはキライじゃない。
けど度を越せば身体に支障を及ぼすものにもなりうる。


(…とんだクソあまったりィ一日だった、な…。)

オレの手のひらから新たなクリームを舌先に乗せて、オレの出方をワクワクした様子で待ち構えるルフィ。
負けてたまるか、とルフィの唇ごと喰らい付くしたオレ。


もう暫くチョコレートはいらないなと思いながら、ほどよい甘さのチョコの味に酔いしれるのだった…。







END (2012/02/14)


《3》