紫煙に焦がれて灰を成す。 2





だが、そうは問屋が卸さないのが、だましだまされなこの世界。

先に座敷で酒瓶を何本も転がすゾロシアと、彼の有能な幹部であるナミモーレとロビータから告げられた現実に、サンジーノは驚愕し、素早く胸元に備えた銃を構えた。
続いてブルッソとチョッパリーニも自前の銃を構えるものの、ゾロシアは盃を傾けながら余裕の表情を浮かべてサンジーノに対峙した。
ゾロシアの態度が気に入らないものの、予想を超えた展開にサンジーノの額からは嫌な汗が滲み出てきた。

「…まさか、テメェも狙ってたとは意外だったな。
そういうコトに頭回らなさそうな面ァしてたから油断してたぜ…」
「人を見た目で判断するようじゃテメェの底も知れてんな。それから誰が頭回らなさそうだ、斬るぞ。
先手必勝、ってコトバ。テメェの頭ン中によーく叩き込んどけ、グルグル眉毛」

どうやら、この機に乗じて、事態を大きく変えようとしていたのはサンジーノだけではなかったらしい。

先にこの場所に到着していたゾロシアは、二人の有能な幹部の指示によって多くのソルジャー達を各所に潜伏させているのだという。
この料亭の裏手を掌握したと思っていたサンジーノ・ファミリーのソルジャー達は、既に潜伏していたゾロシア・ファミリーのソルジャー達の餌食となった、と。
睨みあう両者の間を縫うようにして、ゾロシア側のソルジャーの一人が室内に飛び込んでくる。
ゾロシアの背後に控えていたロビータに何か耳打ちをすると、ロビータはクスリと微笑んでから口を開いた。

「残念ね、ドン・サンジーノ。貴方の思惑はたった今潰えたわ。」

殺しはしなかったけど、彼等には少々眠ってもらうことにしたわ…と続いたロビータの言葉に、サンジーノはギリと歯をかみ締めた。
こうなってしまっては後はゾロシア・ファミリーの独壇場だ。どうやら自分達はまんまと罠に掛かってしまったらしい。

クソッと舌打ちをしてから、サンジーノは構えていた銃を座敷へ投げ捨ててしまった。
この料亭全域を制圧されているのであれば、もうサンジーノに手を出す術は残されていない。
投げ捨てられた銃を降服の証と取ったゾロシアは、空の盃を手にとりサンジーノに投げつけた。

「心配すんな、テメェがどんな野蛮な事考えてたかは知らねェが、俺達はテメェらのタマ(命)取りにきたわけじゃねーよ」
「…それを、信じられるとでも?」
「俺は元からタマの取り合いにも、縄張り争いにもそこまで興味はねェんだ。
だからといってルフィオーネ側の、義兄弟の盃を受ける気もさらさらねェんだけどな。ここにはタダ酒が飲めるっていうから来たまでだ」

テメェが大人しくしてくれりゃ、何もしない。
ゾロシアは脇息に肘を置き、座椅子に深々と背を預けながら酒を呷る。
その余裕綽々な態度にサンジーノは苛立ちを覚えるものの、この状況下では従う他ない。勝算のない戦いに挑むほど、サンジーノは愚かでも、はたまた勇猛でもなかった。

投げつけられた盃を手に、ゾロシアとは反対側の座椅子にどっかりと座り込む。
酒瓶の口をこちらに向けて盃を出せと合図を送るゾロシアに、渋々サンジーノは盃を突き出した。
トクッ、トクッと注がれる上物の酒に、サンジーノは眉を顰めた。

「…テメェの考えてる事が読めねェぜ俺は。他勢力を潰す絶好の機会じゃねーか」
「ハッ、随分と血の気の多いこった」
「ちっとも考えなかったのか?」
「ウチの幹部共はそうするのもアリだっつったけどな。俺は端から乗り気じゃなかったぜ」
「…だったら、なんで来たんだよ」

なみなみと注がれた盃を片手に、ゾロシアの回答に不満感を募らせるサンジーノ。
するとゾロシアは自身に注がれた盃を一気に呷ってから面倒臭そうに眉を寄せた。

「だからさっきも言っただろうが、俺は酒を飲みにきたんだよ」
「それぐれぇでテメェともあろう者が動くとは思えねェんだが」
「・・・・。ほぉー…」

一応は買ってくれてるのか?と口尻をあげれば、サンジーノはキッと強く睨み返してくる。
その様子にさも可笑しそうに肩を揺らすゾロシアは、盃を置いてニタリと笑った。

「確かに理由はそれだけじゃねェ」
「だったら何が目的だ」
「…ルフィオーネの真意を確かめに来た。」
「何?」

今でこそ三大巨悪勢力と呼ばれるまでに成った、ルフィオーネ・ファミリー。
だがその歴史は浅く、ルフィオーネ自身は数年前この街に突然現れそれから少しずつ仲間を集めあっという間に勢力を拡大していき、気付けば古株であったゾロシア・ファミリーとサンジーノ・ファミリーを脅かすほどの一大勢力と化していた。
ルフィオーネ自身の情報は数少なく、殆ど未知数といってもいい新たな芽は、ドン・ゾロシアでさえ些かの恐怖を抱かざるを得なかった。

「…テメェはアイツと戦場であったことあるか?」
「ねェな。前線にも出てこねェ小心者のイメージしかなかったが」
「アホか。もし本当にヤツが跳ねっ返りの強ェだけのガキなら、俺等とタメ張るほどの組の頂点に立てるわけねェだろ」
「・・・」

言われてみれば確かにそうだ。
サンジーノもようやく、ルフィオーネという存在の異端さを理解して眉間に皺を寄せた。

「それに今日の事もそうだ」
「今日?」
「気付いてねぇのか?この場に、ルフィオーネんトコのソルジャーは一人もいねェんだよ。」
「はぁ!?」

ゾロシアは窓の外をあごでしゃくってみせた。

「ここいら全域はすでに俺達の構成員で囲ってある。テメェんトコの構成員の情報も把握済みだ。
・・・この意味が分かるか?」
「…ようは、オマエらが把握している人員“しか”ココに来てねェってことか。」
「そーゆーこった」

サンジーノは顎に手を当てながら訝しげに口を開いた。

「敵しかいねェこの場に、テメェんトコの兵隊一匹も用意しとかねェとは…」
「前々から俺はルフィオーネってヤツを図りかねていた。得体のしれねー相手ほど、気味の悪ィものはねー。
それがどうだ?滅多に姿を現さねェルフィオーネが自ら動き、用意したのがこの酒の席だ。
兵隊を用意しなかった理由が俺達を信頼しているからか、それとも単なる大馬鹿野郎だからか。どちらにせよヤツを見極めるにはちょうどいい機会だってことだ。」
「…まぁ、そうだな」
「本気でルフィオーネが義兄弟の盃を交わすというならそれはそれでいいだろう。
が、もしもテメェみたいにココで一気に片ァつける気で俺等を集めたというなら…そん時は、」

意味深に窓の外に目を向けたゾロシアに、サンジーノは肩を竦めた。
何が“タマの取り合いする気はねェ”だ。いざって時の備えは万端なんじゃねぇーかよ。


バタバタと何者かが廊下を駆けてくる。この座敷の前でピタリと足音が止んだと思った瞬間、失礼します!という掛け声と共に襖がユックリと開いた。
開いたと同時に腰を曲げ一礼をしてから顔をあげた長鼻の男。特徴のある突き出した長い鼻が目に入った瞬間、僅かに掴んでいるルフィオーネ側の情報の中にこの男の写真と素性のデータがファイリングされていたことを思い出した。
名は確かウソトゥーヤといい、ルフィオーネ側の主要幹部…カポ・レジームの一人であるはずの男。ゾロシアはいよいよもって気分が高揚としてきた。どんなバケモノが現れるのかと、拳に否応なく力が篭った。

「遅れて申し訳御座いません。ドン・ゾロシア、ドン・サンジーノ。
もう間もなく我等がドン・ルフィオーネがやって参りますので、今しばらく…」
「テメェんトコのボスは随分と時間に疎いヤツなんだな。」
「え、えぇ…。大らかといいますか、ルーズといいますか…ともかく申し訳ござ」
「コッチは指定された時間ちょうどに着てやってんのによォ…随分、なめられたもんだ。」

ゾロシア、サンジーノから矢継ぎ早に責め立てられ、元々気の弱い性分なのであろうウソトゥーヤはオロオロと慌てふためき、繰り返し畳へと頭を押し付けるように頭を垂れた。
その様子を嘲笑を浮かべて眺める二人。こんな三下臭い野郎を主要幹部に任命するようなボスだったのか、と。ルフィオーネを少々過大評価しすぎたかと、ゾロシアもサンジーノもぺこぺこ頭を下げ続けるウソトゥーヤを鼻であざ笑うのだった。

―― と、その時…
両ファミリーの幹部達が一瞬ざわついた後、息を呑んでさっと道を開いた。

「…遅れた原因はおれにあるんだ。

ウチのモン、あんまり虐めてくれるな…。」

凄味のある低い声音が、一瞬で空気を変えてしまう。
ゾロシアもサンジーノもその声音を耳にした瞬間、身体の内側から凍りつくような寒気を感じぞくりと背筋を震わせた。
身体の自由も、思考さえも完全にストップさせてしまったその人物は、急にシンと静まり返った室内をのんびりと見渡してからフッと息を吐いた。
ふわりと漂う濃色の紫煙が二人の頭上を舞っていく…。

「どうかしたのか?カチコチに固まっちまって…」

クスクスと可笑しそうに笑う男は彼の後を続くように現れたもう一人の幹部、フランガレッラに羽織っていたダークレッドのコートを預けると、彼は座敷の奥へと歩きだした。
その優雅な立ち振る舞い、それでいてゾロシア・サンジーノに劣らない堂々とした様は、とても17のガキとは思えなくてゾロシアもサンジーノも思わず声を失ってしまう。

やんわりと細められた黒曜石の瞳はまるで深淵のように闇を湛え、左目の下に濃く刻まれた傷跡は幼さを滲ませる顔立ちには合っていないもののそれ故に男の危うさをより演出している。
口元に咥えられた葉巻はゆらゆらと紫煙を燻らせ、身体全体から香り立つローズフレグランスの匂いと葉巻の香りが混じり、雄を感じさせる色香にいっそう引き付けられた。


―― これが、わずか数年の間に急成長したルフィオーネ・ファミリーのボス…ドン・ルフィオーネ

二人は既に、この男が醸し出す空気感に圧倒されてしまっていることにまだ気付いてはいない。そんな彼等には目もくれず、ルフィオーネは座敷の一番奥側の座椅子へと腰を落ち着ける。ゆったりと背もたれに身体を預け、一際深く、葉巻の煙を吸い込んだ。
煙が肺を巡り、全身にその独特な風味が行き渡るという頃合でルフィオーネは葉巻を外し、ようやく斜め向かいに座るゾロシアとサンジーノを軽く一瞥し、口を開いた。

「今日は、おれの呼びかけに応えてくれて感謝する。…ドン・ゾロシア。それにドン・サンジーノ。」

葉巻の先端を灰皿へと向け数回灰を落としつつ言葉少なに簡単な礼を述べるや否や、ルフィオーネは再び葉巻を吸い始めてしまった。
美味そうに葉巻を咥える彼は気味が悪いほど様になっていて、彼が放つ威圧的な空気感にウソトゥーヤとフランガレッラ以外の幹部の者達は、緊張からか表情が強張ってきているようにも見えた。

想像をはるかに上回るドン・ルフィオーネの存在感に意表をつかれ、すっかり遅れをとってしまったゾロシアとサンジーノ。
未だ硬直している二人の間を、ルフィオーネの口元から吐き出された紫煙がスゥー…と通り過ぎた。葉巻にしては少々ヘビーな香りのする紫煙が彼等の鼻腔を掠めていく。

「…っ、…随分と、遅い到着じゃねーか。ドン・ルフィオーネ」

先に覚醒したのはゾロシアだった。慌てて発した声は震えてしまい、未だに落ち着かない心境をルフィオーネに悟られまいと、彼は並々と酒の注がれた盃を手に取り一気にぐいと呷る。
その間にサンジーノもハッとしたように肩を跳ねさせ、息を吸う事を忘れてしまったかのように無意識に詰めてしまっていた息をゆっくりと吐き出し、顔を引き締めルフィオーネへと目線を向けた。
たかが年下に舐められてしまっては癪だと、皮肉めいたセリフを吐こうとその口角を釣り上げた。


《2》