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「どこに行くんだ?」
数秒前まで聞こえていたはずの鼾がなくなっていた。 腰を確認すると、絡まっていたのはルフィの伸びた腕だった。
「…起こしたか?悪いな。煙草吸って来る」
振り返ると暗闇の中で目が合う。
「…なんで?寝れねぇのか?」
「…ちょっとな」
ルフィは口をへの字に曲げた。 そして腕をぐんと引き、サンジはその力に逆らえず一気にルフィのベッドに引き寄せられた。 倒れ込むと手足で体に巻きつかれ、身動きができなくなる。
「ぐえ…何してんだよ!!」
「いい加減考えるのやめろよ」
そういうとルフィはサンジの頭をポンポンと叩き撫でる。
「は…」
「ナミとロビンのこと考えてたんだろ」
「…お前な、陽が昇ったら、メリー号は女を攫う領主がいる島についちまうんだぞ」
近すぎる距離にいるルフィにじっと目を覗きこまれた。
「あいつらになにかあっても、俺とサンジで助ければいいだろ。今は大人しく寝てろよ」
「…」
「それとも、サンジは俺を一人おいてくつもりだったのか?」
「…そういうつもりじゃあ…」
「じゃあどこにも行くな。俺と居ろ」
「……分かったからこれ外せ!!」
暑苦しく巻き付くゴムの腕と足をはがそうと暴れるがそれは外れることはなかった。
「んー。おやすみサンジ」
「あ、おい…」
ルフィの目がとろんとしたと思うと、寝ている最中に起きたせいかあっさりとまた眠ってしまった。
「これで寝ろってのか…?」
サンジは動かせない体で一人唖然とする。
しかしそれでもベッドの中で大人しくせざるを得ないでいると、だんだんと眠くなってきて、 暫く経つと、サンジは夢と現実の間を彷徨っていた。
「…」
意識がぼんやりとしているときに、小さな声が聞こえて少しだけ現実に引き戻される。 顔に何か触れるものがあったような気がしたが、そこで眠ってしまった。
朝サンジが起きた時には、ルフィの腕の拘束は緩くなっていた。 体に絡みついているルフィの肢体は元に戻っていて、通常の長さの腕に抱きこまれている。
サンジがルフィを無視してそこから起き出そうとしたとき、ルフィが小さく呻いて身じろいだ。
「…あ、サンジ…おはよ」
ぷに、と柔らかい物が勢いよくサンジの頬に触れる。 離れていくルフィの顔を見てそこでキスをされたと理解し、サンジは跳ね起きた。
「お…おま…お前…!」
「ん?」
「何してんだこのアホゴム!!」
反射で繰り出した足でルフィが部屋の壁まで飛んで激しくぶつかる。
寝ぼけるのもたいがいにしろ!とサンジは叫んだ。
「サンジ怒るなよー」
「うっせ、あんなことすんな!!」
「サンジを慰めようと思って」
「はぁ!?なんで慰める!?」
驚くとルフィは唇を尖らせていた。
「今サンジの傍にいるのは、俺だけだからな」
ルフィなりの理由付けにサンジはため息をつく。
「あー、もういいから…あんなことすんじゃねぇぞ!」
「サンジ寂しいんだろ?遠慮すんな」
「遠慮じゃねぇ」
ルフィからの返事はなかった。
二人で町へ出ると、ルフィは大人しくサンジの隣を歩き、ついてくる。サンジは風景もあまり目に入らずに歩いていた。
「…サンジ、サンジ」
サンジの頭の中は、女性陣のことで溢れ返っていた。今頃島に着いているのだろうか、 ナミとロビンは無事か。今この瞬間に大変なことになっているのではないか。 考えているだけではどうにもならないけれど、平和な今の状態だと、自然と女性たちのことを 思ってしまう。そわそわと落ちつかない。
「サンジ、おい」
「ん、ああ、なんだ」
横から覗きこまれて我に返り返事をしたが、ルフィが明らかに眉を寄せた。
「ルフィどうした」
ぐっと手を握られ、掴んできたその力の強さに素直に問い掛ける。 けれどさっきまでサンジを呼んでいたくせにルフィは何も言わない。
「おい、何だよ」
ルフィは掴んだ手を引っ張って、無言でサンジより前を歩いた。
「…またナミたちのこと考えてただろ」
何回呼んでも返事しなかったから、と呟く声。
「しょうがねえだろ。気がつかなかったのは悪かった」
「仲間の心配すんのは悪くねえよ。でも俺がいることを忘れるな」
「分かったよ。おいルフィ、手」
すると振り返ったルフィは感情のない顔を一気に笑顔に変える。
「こうしていればサンジも寂しくないだろ?」
明るい声だった。サンジがルフィに手と言ったのは離して欲しいという意味だったが、ルフィはより一層強く握り返した。 痛みはないけれど、この手は剥れそうにもなかった。
昨日に続いて今日も同じように引っ張られることにサンジは自然と顔をしかめた。
「なあルフィいいから手を…」
「あっ、なあなあ見てみろよ!!すげー美味そうな肉がある!!」
サンジがルフィに文句をつけようとするのと、ルフィが何かを発見したのは同時で、 こうなってしまうと言っても聞かないだろうと、これ以上言うのを止めた。 手を引かれ小走りになったルフィに着いていくと、大通りに構えられた店の一つに辿り着く。 香ばしい香りが二人の鼻を擽り、煙が濛々と上がっていた。 大きな肉が串に刺さっていて、店の男は串を持ってくるくると回しながら焼く。
「すっげー!!うんまそー!!おいおっちゃんこれ一個くれ!!」
「あいよ!!」
串焼きされた肉はルフィの顔よりも大きく、ルフィは思いっきり噛みついた。
「あっち!!」
「いきなり食うからだ」
懲りずに再び噛みついて、今度は噛み切る。目が飛び出そうなほど大きくなり輝いているので、どうやら美味なようだ。
「ううー…うんめぇー!!」
噛んでいた分を飲み込むと大きな声で言う。
「ほら、サンジ!!」
「ん?」
目の前に肉が差しだされて、見るとルフィが笑っていた。
「やるよ!」
肉に目が無い、底なし胃袋のルフィが惜しげもなく肉を差し出している。 そんなことがあるなんて思っていなくて、サンジは一瞬遅れた後、いいよ、と腕を押し返した。
「そんなんじゃ足りねぇだろ?お前が食っとけ」
「いーんだ。食え」
サンジの口元に肉を持ってくるので、躊躇った後、サンジは大人しくそれにかぶりついた。
「…なかなかな味付けだな」
「なっうめーな?もっと食え!」
嬉しそうなルフィを見ながらサンジは首を傾げた。
今日もルフィは冒険をせず、遠出もしないのだろうか。真っ先に町に下りていったほど楽しみにしていたはずなのに。 もしかして冒険をやめてまで傍にいないとと思うほど、俺は情けなかったのだろうか。
サンジが口を開こうとしたら、もう一度肉が差しだされた。
「これ食ったら、あっちの店の菓子も食ってみよう!楽しみだなー!!」
「…金使いすぎるなよ」
何にせよ、笑顔で話すルフィはルフィで好きなように楽しんでいるようで、サンジは出された肉にもう一口齧り付いた。
この日の夜はサンジが夜中に抜け出すまでもなく、ベッドにもぐり込もうとした時からルフィの腕が絡みついていた。 引っ張られて、昨日の夜と同じようにベッドの上に倒れ込む。
ルフィはまたサンジをグルグル巻きにして満面の笑みで笑った。 どうやら慰めるという名目が気にいっているようだ。
「あー分かった、ルフィ分かったからいい加減この腕解け!息苦しいったらねぇ!」
「そうか?」
ルフィは腕の拘束を緩めると普通の長さになった腕でしっかりとサンジを抱き直した。
「よし、じゃあこれで眠れるな」
サンジが反対してくるとも思っていない様子で言う。
「はぁ…一応聞くけど、俺は自分のベッドで寝てぇ」
「駄目だ」
「…夜中も抜けださねぇ」
「それでも駄目だ。いいじゃんか、こっちで寝ても隣で寝ても同じだ」
この体の密着度はどう考えても同じとは言わない。けれど何も言わずにルフィの頬を引っ張るだけに留めた。
「ふぁにふんふぁ」
ぱっと手を離すと、バチンとゴム特有の音を出して頬が元に戻る。 サンジはさっさと目を瞑って眠りの体勢に入った。
「…サンジ?」
ルフィがサンジを気にかけていることは分かった。 そして恐らく、少し機嫌を損ねていたことも。 寂しいのなら、唯一ここに残った仲間の俺を頼れと、存外に言われている気がした。
さすがにルフィを放って一人取りみだして、夜中に抜け出そうとしたことは悪かったかなと省みてみたりする。 でも仲間の女性陣を心配するのは、それは俺が俺である証拠であり、この性格を直そうとも微塵も思わない。
その代わり、少し見えたルフィの気持ちに僅かながら返すためにルフィの腕の中で眠った。
鎖骨辺りにきつく顔を抱きこまれて、ここまでくっ付く必要はないけどなぁとは思う。
昨日から今日までを思い出して見ても、ルフィと良くしゃべったし、距離も近かった。 二人しかいないのだから当たり前かもしれない。けれどいつものルフィとは少し違う気もして、それがまた不思議だった。 体に触れる部分から感じるルフィの体温にも、むず痒いような、でもまあ良いかと思えるような心地の間で揺れる。
日常と、日常から少し外れた違和感が重なっているのを感じ取りながら、サンジはまどろんでいく。
「…」
眠りに落ちる直前、さわさわと耳元で何かが囁き、額や頬や瞼の上に柔らかい感覚が落ちてきた。
「サンジ」
聞こえた音は自分の名前だった。
その声につられるようにして思い出したのは、今朝頬にされたキスのことだ。
…まさかな。
キスな訳が無いとか、ルフィがまたするわけがないとか、いくつもの考えが一緒くたになった強い否定で埋め尽くされる。 けれど結局、自分が反射的にそんなことを考えたとも分からないうちに、柔らかな感覚に誘われて、 抗えない眠りの中に落ちていった。