“例の件で、動きがあったそうだ。
メールで送った場所に、明日14時に来いよ。”
ラストオーダーから1時間後、ようやく最後の客が帰り、明日の仕込みを簡単に済ませてヘロヘロになりながら自室へ戻ったのが午前1時過ぎ。
チカチカと点滅していた家電から聞こえてきたのは、無愛想なアイツの声。
一生懸命働いて帰ってきた俺へのご褒美にしてはなんとも色気のないことで。
…しかし今日ばかりは飛び上がりたくなる程に、胸が弾んでいた。
やっと手がかりが掴めた、とは言い切れないが、何か進展があったことには違いない。
となれば、夜中だろうが知ったことではない、サンジはすぐさま行動を起こした。
オーナーである自分の一つ下の地位に位置する副料理長のパティにコールし、まだ完全に目覚めきっていない相手に“明日は店に出れない”と伝えた。寝ぼけながらも驚嘆するパティに話も早々に切り上げると、ベッド横の目覚まし時計を手に取った。約束の時間の3時間前にセットし、荒々しくジャケットを脱ぎ捨てネクタイをわずかに緩めたかと思うや否や、そのままベットに乗り上げたのだ。
何事にも几帳面な自分にはあるまじき行為。でも今は、少しでも早く時間を消費してしまいたかった。
(夕飯食ってねェけど一食抜いた所で死にゃーしねェ。風呂なら朝入ればいい。そんだけの事だ。)
(待ち続けた日が、後数時間もすれば来るんだ。)
自然と高揚感が内から湧き上がっていき、眠らなければとおもう程に目は冴えてきてしまう。
が、サンジは無理やり目を閉じ、真っ暗な世界の中で眠気がやってくるのを期待した。
(もうすぐ、逢えるかもしれないんだ。)
(ルフィ…もうすぐ、もうすぐだから。)
* * *
指定された喫茶店に着いたサンジは、店のノブを握った手が震えていることに気付き、いかに自分が緊張していたのかを知って大きく深呼吸した。
息を整え、決心を固めたサンジは勢いよく喫茶店の扉を開いた。カランコロンとレトロ感溢れるベルが店内に鳴り響く。
店員がサンジを迎えるためにやってくるのを横目で確認しつつサンジは店内を見回した。
ざっと見た感じでは、見知った緑頭は発見できない。腕時計を確認して時刻を確かめる…時間は丁度なんだが、まだ来てないのだろうか?
キョロキョロと左右に視線をやるサンジに、勘のいい店員はすぐ気付いたようで、
「お連れ様でしたら奥のお席です。ご案内しますね」
と丁寧に対応してサンジを先導するように歩き始めた。
此方です、ごゆっくり。と案内された席には、優雅にコーヒーを飲む黒髪の女性が座っていた。
大人の雰囲気を醸し出すその女性に少々面食らいながらも、サンジは遠慮がちに席へと着いた。
「あの…」
「心配しなくてもアナタが捜してた相手は私で間違ってないわ。初めまして、ニコ・ロビンよ。ゾロの遠い血縁で一応だけれど探偵のような事をさせてもらっているの」
「これは、スミマセン、まさか貴女のようなステキなレディとお近づきになれるとは思いもしなくて。…驚きのあまり気の利いたセリフの一つも用意できないとは」
「ふふっ、有り難う。」
ゾロが話してた通りみたいね、と呟いた彼女に一体あのクソマリモはどんなデタラメ吹き込みやがった、と顔をしかめた。
「気になるでしょうけど、ごめんなさい。余り時間がないの。早速、調査報告させてもらっていいかしら?」
「っ!?…はい。お願いします」
いきなり本題の話を切り出され、まだ心の準備が出来ていなかったサンジは大袈裟なほどに肩を揺らした。
ロビンはそんなサンジの心境を悟り、クスリと微笑んでから表情を和らげた。
「大丈夫、アナタが思ってるような最悪の事態ではないことだけは確かよ。だから気を楽にして。・・確認してちょうだい?」
そう言ってロビンは一枚の用紙をサンジの前に差し出す。裏側を向けて渡されたその紙には、報告書と書かれているのが透けて見える。
用紙を受け取り、サンジは一呼吸置いてから、紙を表に返し其処に書かれた文章に目を通した。
「・・・・。」
サンジが想像していた最悪の事態…、死亡説や、消息不明説などは何処にも書かれていなかった。
とある住所と、簡易的に書かれた地図に、一箇所だけ○印のつけられた、その書面。それが指し示す事は…
サンジが答えを出す前に、素早くロビンが答えを出した。
「私自身、そこへ赴いて確認済み。・・彼は無事よ。」
「・・・、いくら捜しても見つからなかった時点で、もうこの街にはいねェとは思ってたが」
ルフィが見付かったその場所は、電車で2時間程度離れた都会だったのだ。生活力には少々乏しい面のあるアイツが、そんな遠い所に居るとは考えもしなかった。
地図の横に、英語で“Party's Bar”と書かれている事にサンジが首を捻ると、現在ルフィが住み込みで働いているバーの店名だとロビンが教えた。
「彼はその場所がいたく気に入っているようね、“もう4ヶ月以上”働いてるみたいなの」
「それって…」
「言い返せば、4ヶ月という月日は彼にとって異例な事態。…どうやら彼は、一所に長く居られない性分なのね」
「つまり……、ルフィの傷は、まだ癒えてない、ってコトですね」
「さぁ、その辺りの詳しい事情は聞かせてもらっていないから、私にはなんとも」
「・・・・。」
ルフィは3年もの間、未だ留まる場所を見い出せずに土地勘のない世界を一人彷徨っているのか…。
サンジは苦々しい表情を浮かべ、グッと拳を握りしめた。
「出向くなら早めの方がいいわね。今までの経歴をみる限り、彼がいつ其処を飛び出してしまってもおかしくはないはずだから」
「…今から、行こうと思います」
「随分と即決なのね」
「えぇ。ルフィの居場所、突き止めて下さって本当に有り難うございました」
このお礼は後日かならず、とサンジは早々に席を立つ。
そんなサンジに、ロビンは一つだけ訊かせて、と彼を呼び止めた。
「この書面の彼は、アナタにとってどんな存在なのかしら?」
するとサンジは振り返り、一切の迷いなく一言だけ、
「恋人です。」
と、清々しい笑顔を見せてから、店を飛び出していった。
いつの間に置いていったのか、一人分のコーヒー代が先ほどまでサンジの居た席に残されていた。
それを見てロビンは再びクスッと微笑った。ソファに背を深く預けて、ロビンは少し冷めてしまったコーヒーを片手に持ち、意味深に背後を伺った。
「ですって。納得できて?ゾロ」
「・・・。」
ロビンが座っていた席の後ろ、帽子を深々と被って身を縮ませていたゾロが帽子を脱いでサンジが座っていた席にどっかりと腰を降ろした。
「アナタも随分とツラい立場ね」
「…ンなもん、端っから覚悟してたよ。こうなるのは分かりきってた。」
「後悔は、してない?」
「………」
ロビンの言葉に、ゾロはすぐ答えられなかった。
後悔していないと訊かれれば、答えを出すにはまだ時間が足りない。
「…二人の仲がギクシャクし始めてからも、アイツはずっとルフィだけを見ていた。元より俺の入り込む隙間なんて無かったんだよ。」
後悔なんて言葉は、どんな事があろうとも決して諦めてねェヤツが使うべきなんだよ。
まるで自分に言い聞かせるような言葉を、吐き捨てるように言い残しゾロは足早に喫茶店を出て行った。
一人残されたロビンは、冷めてしまったコーヒーを前に目を閉じる。
蒼き瞳の彼は、過去と未来をもう一度繋ぐために飛び出していき、
紅き瞳の彼は、過去を捨て去り新しい未来を受け入れる為の準備を始めた。
そして
あの黒き瞳を持った彼は……
「過去も現在も、未来さえも拒絶して、それでも彼は、待っている」
コーヒーにそっとミルクを垂らすと、白いラインは円を描き、黒一色の世界は光を得たように変化する。
「…早く、気付いてもらえるといいわね…。」
手に持ったスプーンは、カップに広がる黒と白の世界の均衡を易々と崩した。
そして、ついには。
(残されたものは好きだって気持ちただ一つ)
(ルフィ。俺はもう、逃げないよ)