雨よけの成就 2





―― ようやく答えは見つかった。
さてオレは、これからどうしたらいいんだろうか?

サンジは再び顔をあげて、窓の外に目を向けた。
雨は変わらず降り続けている。ルフィ達は、まだボーリング場にいるんだろうか?

無意識のうちに手がズボンのポケットへと伸びた。帰ってからまだ着替えていなかった其処には携帯電話が入っている。
画面を開いては、勝手にとある番号を打ち始めた指先。サンジはそれをまるで他人事かのように眺めていた。
長い年月で進化を重ね続けてきたこの小さな端末にはアドレス帳というものが内臓している。引き出せばワンプッシュで掛かたい相手に繋がる非常に便利な機能なため、昨今相手の番号をわざわざ覚えている者は少ないだろう。

しかしサンジにとって、その番号だけは目を瞑ってでも間違わず押せる自信があった。
指先が止まり、ディスプレイに表示された11桁の数字。あともう一回、ボタンを押せば…。

「ルフィに、繋がる…」

けれど、繋いだところでどうすればいい??何をどう話せばいい??
…オレはルフィに、ふって湧いてきたこの淡い気持ちを伝えたいのだろうか。


―― でももし、すでにルフィとビビちゃんが付き合っていたら…、オレの想いは、



“ピッ”

「あ…。」


“オレの想いは、アイツの迷惑になるだけだ”


そう脳内が返答をかえそうとする前に、再び指先が動いていた。
自分にとって望ましくない考えを断ち切るかのように、身体は主の思いを他所に次々と行動を起こしていってしまう。オレの思考はもはや置いてかれっぱなしだ。
身体と気持ちが合致しない行動に戸惑いながらも、電話の向こうにいる相手に気付けとばかりに鳴り続ける呼び出し音に耳を傾けた。

(もう、なるようになれ…だ。)

半ばやけくそ気味になったサンジは、ルフィが電話口に出るのを待った。
携帯を持つ手のひらにじわりと汗が滲む。鼓動も徐々に高鳴っていく。


“ピッ”

「・・っ」
『サンジか!?おめぇ大丈夫なのかっ?』

機械音の後、耳に届いたルフィの声に胸が破裂してしまうんじゃないかと思った。

(あぁやっぱオレ、コイツのこと好きだ。声聞いただけで泣きそうになった…)

先ほど自覚したばかりの想いが一気に溢れだしていく。膨れ上がる想いに胸が痞えて、一瞬声が出せなくなってしまうほどに。
途端激しくなった動悸を抑えるのに必死になりすぎて、一向に返事をかえして来ないサンジに対してルフィは電話の向こうで酷く慌てはじめたようだ。

『サンジ!なぁ、どっか具合悪ィのか、なんでしゃべんねーんだっ…!?
どうしよ…おまえらっ!サンジが全然しゃべらねぇよっ』
『おおお落ち着きなさいよルフィっ!!』
『ちょ、くっつかれたら投げらんねーだろうがっ!!』

ざわついた空気と僅かに聞こえた場内アナウンスからして、まだルフィ達はボーリング場にいるらしかった。
ルフィが大騒ぎしており、ナミさんやカヤちゃん…ビビちゃんに、どうやら迷惑をかけてしまっているようだ。

・・・つーかゾロ、てめぇは何ルフィにくっ付かれてんだよ!

そんなちょっとした事でさえ嫉妬心を湧き上がらせる程、切羽詰った状態の自分がなんだか滑稽に見えて酷く悲しくなった。

「…、るふぃ…」

震えてしまいそうな声音でその名を呟けば、微かな音でも敏感に気付いたらしいルフィが『サンジ?!』ともう一度焦った様子で呼びかけてきた。
途端、電話口の向こう側も急にシンと静まりかえった。この様子では他のみんなもオレを心配して、周りで聞き耳を立てているのかもしれない。
聴かれているかもしれないという可能性を考慮した喋り方をしなければ、ヘンに悟られて気を遣われてしまったらボロが出てしまいかねない。

「わりぃ、ルフィ…オマエに何も言わず勝手に帰っちまって。心配させちまったよな?でも、オレはもう大丈夫だから。みんなにもよ、そう伝えておいてくれ」

そう話し終えると同時に向こうから一斉に安堵の溜め息が漏れ聴こえてきた。良かった、とか心配させんじゃないわよ、という女性陣の美しいボイスも届けられてくる。
やはりみんなに盗み聞きされていた。それは勿論有難いことだけれど、これでは本当に話したかったことは話せそうにないだろう。

「そういうワケだ。オレの分までしっかり楽しんできてくれよ、それじゃ、な?」

早い事には越した事はないが、今はその期じゃない。
サンジはそう考え、ルフィの返答も待たずに自然な流れを作り出してそのまま電話を切ろうとした。

が・・・。


『サンジ。』


一安心して和やかなムードになりかけていたその場が、ルフィの一声で一気にピリッとした空気に包まれる。
さっきまでどうしようどうしようと情けない声を出していたルフィが、急に硬質的な口調で引き止めたものだから、何か勘付かれてしまったのかとサンジは肝を冷やす。
次に来る言葉に怯えながらも渋々待っていると、


『サンジ、今何処にいる?』

と短く問いかけられる。その声は、今までルフィと一緒にいて1,2回聞いたかどうかというぐらいの温厚なルフィには珍しく威圧的なものだ。
サンジが困惑していると、もう一度ルフィが呼びかけてきた。ちゃんと答えろと、重圧をかけられているかのようで…。


「…家に、…」
『そうか。』

ルフィがまた短めにそう答えた途端、急にボツボツという雑音が混じり始めた。電波の状況でも悪くなったんだろうか?と一瞬過ぎったが、どうやらそうではないらしい。
電話の向こうではウソップがなにやら驚いた様子で大声をあげているようだった。“急にどうしたんだ!?”と、微かに聞き取れた会話からして、ルフィが何かまた騒動を起こしているようで。
雑音はどんどん酷くなる一方で、ルフィの声はまったく聴こえず仲間の慌てふためく声だけが次々に飛び込んでくる。


「ルフィ…??」

恐る恐る声をかけてみれば、雑音はピタリと止み。
ボフッ…と、電話口で息を吐いたらしいルフィは、ただ一言。


『5分で行く。待ってろ』


そう言い残して電話を切ってしまったのだ。
ルフィとの通話が途切れたことを知らせるツゥー、ツゥーという音色が。…しばらく頭の中を木霊していった。



-*-*-


――バシャ、バシャ!

ルフィとの会話を終えてから、雨の真っ只中だというに水跳ねを物ともせずがむしゃらに駆け抜けていくその足音を聞いたのが大体4分。
1階にある厨房が突然騒がしくなり、仕込み中であっただろうコック達の罵声が家中に響き渡ったのがおおよそ4分半。

…そして。

ルフィがオレの部屋をノックもなしにズカズカ入り込んでくるのが、ちょうど…5分。
携帯の時計をじっと見つめたままだったサンジは部屋の扉が開かれると同時にそっと携帯を自分の脇に置いて、不法侵入者には目もくれず再び膝の上に額を乗せて俯いてしまった。

顔を見たくないわけじゃない。
けれど、あんな弱々しい声を聞かせてしまい、挙句の果てには心配で自分の元に飛んできてくれたルフィに一体どんな顔をしてればいいか、分からなかったのだ。
たった5分というわずかな時間では、ルフィと正面から向き合う心の準備は間に合わなかったのだ。


「・・・、いやーそれにしてもヒデェ雨だったなぁ〜!」

そんなサンジの態度に一瞬 間をあけつつもルフィは普段と変わらぬ態度を装ってゆっくりとサンジの前まで歩み寄っていく。


「今朝も雨降ってたけど本降りじゃなかったろ?午後は晴れるってテレビで云ってたから、傘もってくの面倒でおれ学校まで走ったんだよ〜、
それが、いざボーリング場飛び出してみたらザァザァ降ってんだもんな〜、思わず笑っちまったな、あれは!しししっ」

「そうそう。サンジさ、ボーリング場に傘忘れてっただろ?借りたぞ?借りてよかったよな?って、ダメっていわれてももう遅いんだけどな?
まぁサンジの傘のおかげで上半分は濡れなくて済んだけど、おれ此処までおもっきり走ったもんだから裾から股座までビショビショになっちまって…1階でコックのおっさん達にすんげぇ怒られちまった。
“汚ねェ恰好で厨房にあがってくんじゃねーー!!”って。んなコト言われても仕方がねェよな〜、サンジの部屋は厨房横の階段あがんなきゃいけねーのによぉ」

「んで、おれの制服洗濯に出してくれるらしくって乾くまでサンジの服着てろってヒゲのおっさんに渡されたんだけどよぉ…
サンジって腰すんげぇ細ェな、それに丈もなげくて…。おれがサンジより背格好低くなかったらまず履けてなかったかもな!」

次から次へとペラペラとここまでの経緯を話しながら、ルフィは着実にサンジとの距離を詰めていた。
ベット端に足をかけてうんしょと乗り上がったルフィは体操座りの体勢で俯いたままのサンジの近くまで四つんばいでにじり寄って、真横に着くと両膝をペタンとついて俯いたままのサンジをじっと見つめた。
動きを止めたルフィの気配に気付き、サンジは片目だけ覗かせてルフィのいるであろう方を伺った。すると偶然ルフィの方もサンジの顔を覗き込もうとしていた所だったらしく、目線の位置が重なってしまった。目が合った事に酷く嬉しそうに微笑みかけてきたルフィに、サンジは目元を朱色に染めた。
サンジの反応を見て拒絶されているわけではないと知ったルフィは、中腰になってサンジを抱き込むようにそっと背中から抱きしめた。

「サンジ…」

殊更優しく感じるその声音がサンジを労わる様に何度も何度も名前を呟き、そしてルフィの手はサンジの髪を混ぜるように柔く撫であげる。

虐めを受けていた時。女の子に振られて落ち込んでいた時。ルフィはいつもこうしてサンジが落ち着くまで抱きしめて、そして撫でてくれていた。
久しく感じていなかったルフィのぬくもりに包まれて、サンジは息を詰め、身体を僅かに震わせた。

―― ルフィの腕の中は、サンジにとって唯一自分を偽らなくていい場所だった。

どんなに情けない姿であろうが、みっともない姿であろうが…この場所だけは、変わらず自分を受け止めてくれていた。

サンジはおずおずと顔をあげた。ルフィの方へと腕を伸ばしてルフィの腰付近へと腕を巻きつけた。体勢を変えた事で僅かに上体を起こしたルフィの胸元に潜り込んでその自分よりも若干小柄な胸板へと額を預けて深呼吸をした。
下はコック達に取り上げられてしまったようだがシャツは変えていなかったようで、ルフィの匂いに混じって微かに雨の香りがした。
耳を寄せてみれば其処からトクン、トクンと通常よりも早めの鼓動を感じて、サンジは安心したように目を閉じた。

―― この鼓動の早さが、どれだけ急いで此処まできてくれたかという証であるから…。

《8》