程なくして、意識不明状態のルフィ以外のクルーは全員無傷で帰還した。
すぐさまチョッパーがルフィの容態を確認する。
「意識はまだ戻ってないけど、呼吸は落ち着いてるからもう大丈夫だ。脈もかなり安定してる。
ただ外傷が酷いな…噛み付かれていた腕もそうだけど、他にも打ち傷、擦り傷や切り傷、刺し傷まである…」
「海王類が海底を這うように泳いでいた所為だろうな」
「岩礁に身体を何度も打ち付けていたのが見えた…、生身の身体には相当堪えたろう…」
「外傷の方も治療しねェとな。
あと、これは意識が戻ってみないことにはなんとも言えないけども……」
打ち所が悪ければ多少の記憶障害はあるかもしれない、と小さく呟いたチョッパーにクルー達は皆硬い表情のまま頷いた。
あくまでももしもの場合の話だ、そう心を落ち着けて…。クルー達はルフィの一日も早い回復を祈り、そして願い続けた。
その日から2日目の朝。
「みんなァアア!ルフィが、ルフィが起きたぞぉおおー!!」
チョッパーの涙と喜びの入り混じった叫び声に、クルー全員が一斉にダイニングルームへと押し寄せた。
我先に船長の無事な姿を確認したいと医務室の扉の前で詰め合いになるクルー達。その凄まじい勢いに面食らいながらもチョッパーは人型へと変形し、扉の前に立ちふさがることでそれを阻止したのだった。
「おいチョッパー、ルフィが起きたんだろ?早く会わせろよっ」
「ちょ、ちょっと待ってくれよみんなっ、ルフィと会う前に話しておかなくちゃいけない事があるんだっ!!」
チョッパーの様子に、いち早く感づいたのはロビンだった。
「…何らかの記憶障害が、あったのね?」
「ロビン!?そんな、ルフィに限ってまさか…っ」
「ナミ。…能力者も海の中ではただの人よ。」
冷静なロビンの言葉に息を呑むナミ。
二人のやり取りを黙ってみていた男性陣は真意を確かめるようにチョッパーの方を向いた。
するとチョッパーも表情を曇らせ、小さく小さく頷いた。
「おれのこと、分からなかった。他に何か覚えてることないか?って聞いてみたけど、何もかも、分からないみたいで…。」
――“記憶喪失”。
その言葉が、クルー全員の脳裏に過ぎった。
そんな重苦しい空気を感じ取ったチョッパーは、慌てた様子で頭を振った。
でも違うんだ、と声を震わせる。
「確かに記憶はなくなってるみたいなんだけど、普通の意識障害とはちょっと違うみたいなんだ。
…ルフィさ。おれのこと“バケモノ”だって、騒がなかったんだ。人型になった姿も見せてみたけど、全然、気味悪がらなかった。
おれみたいなヘンな生き物、初めて見たのならさ、どんなヤツだって最初はビックリするだろう?ルフィだってドラム王国で初めて逢った時、おれのことみてすげぇビックリしてたんだ。…なのに今のルフィはトナカイでも人でもないおれを“おれ”っていう存在としてちゃんと理解しているようだった…。」
いまいちチョッパーの言いたいことが理解できないクルー達は一様に首を傾げた。
チョッパーを見て騒がなかったのは、意識不明から戻ったばかりで朦朧としていたからかもしれない。
もしくはルフィの破天荒な性格が相まって、元々そういう人種もあるものだと勝手に判断したのならば驚かなかった理由も頷ける、と。色々な仮説が浮かび上がる中、そんな空気を察したチョッパーが人型から通常のサイズに姿を変えて、そっと扉を押した
「…とにかく、一度会ってみたほうがいいかもしれない…その方が、おれが言いたいこと、きっと伝わるような気がする」
そうしてチョッパーは医務室の扉の前から静かに退いた。
騒がないように、と忠告した船医の指示に従い、クルー達は一人一人静かに医務室の扉をくぐった。薬品のにおいが充満する室内に置かれたベット。全身を包帯でぐるぐる巻きにされた痛々しい姿の船長が其処に居た。
ルフィは横たわったまま目線だけを動かし、今までの騒動を扉越しにじっと伺っていたようだった。
普段から笑顔を絶やさないルフィが次々入ってくるクルー一人一人を無表情のまま眺める姿は、余りにも異様だった。
そんなルフィの様子に戸惑いながらもナミはルフィの枕元に近寄り膝を折る。目線の高さを合わせて、ルフィに問いかけた。
「え、えっと…ルフィ?身体はもう平気?」
「おう、平気だ。」
「そ、そう…安心したわ」
ナミの質問に受け答えするルフィにおかしな点は見当たらない。ないのだが、言葉では説明し辛い違和感を感じたクルー達。
その違和感の理由をハッキリさせようと、フランキーは率先して核心をつく話題を切り出した。
「アゥ!何はともあれ無事でなによりだ…それよりオメェ、記憶、無くしちまってるらしいがそりゃ本当かァ?」
「…みてェだな。実際、オマエらの名前、サッパリ分からねェんだ。」
「…マジかよ。」
ルフィの言葉に、頭を抱えるゾロ。その横からブルックが顔を覗かせる。
「ルフィさん、ワタシのコトも分からない、ですか…?」
「おお、ぜんぜん分からねェ…。記憶が飛んじまってるって、そこにいるチョッパー?から聞いた。…ゴメンな、おめぇのこと、忘れちまって。」
「い、いえ…それよりルフィさん。アナタ、ワタシをみて何も思わない、んですか?」
「んん、…特になんも。しいて言えばカッチョいいアフロだな〜、ってぐらい」
「そ、そうですか…ヨホホ」
チョッパーに続いて、いやチョッパーよりも疑問におもうであろう骸骨人間であるブルックに対しても何の疑念を抱かないルフィに、クルー達はチョッパーの言っていた言葉の意味を僅かながら理解した。
ルフィのこれは、記憶を全て失ってしまった人間の反応とは言い難いのだ。
記憶の根柢、それもかなり根深い部分の所で自分達の存在をルフィは記憶しているのではないのだろうか。
もしそうだとしたら、記憶の回復は存外早いかもしれない。
浮上する憶測を元にロビンはそっと口を開いた。
「ねェルフィ。」
「なんだ?」
「本当に何も覚えていない?此処にいるみんなの顔を見て、何か思い出さないかしら?」
ほんの僅かでも自分達を認識している可能性があれば、何か一つぐらい。誰か一人ぐらい思い出すかもしれない。
何かしらのキッカケさえ得られれば、其処から記憶が蘇ってくるかもしれない。
そう説明したロビンの言葉に、ルフィは素直に従った。
一人一人、並んだ順からじっくり観察するルフィ。視線のあったクルーは、少しでも自分のことを思い出してほしくてルフィに簡単な自己紹介をした。
忘れてほしくない。消えて欲しくない。かすかに残った可能性を信じて、クルーは必死に自分を伝えた。
が、特に変化のないルフィにがっくりと肩を落とすフランキーの番が終わり、続いてサンジが一歩前に出た。
「次は、サンジ君ね。」
「…まさか、こんなコトで改めて自分のことを話すハメになるとは思わなかったぜ…」
そういうとサンジは面倒臭そうに、しかし何処か落ち着かない様子でぽりぽりを後ろ髪を掻いた。
ルフィがぴくりと肩を揺らしたのには気付かないまま、サンジはそっと横たわるルフィの顔を覗きこんだ。
「サンジ…?」
「そうだよ、テメェ俺のコト忘れるたぁいい度胸してんなァ…。今日までテメェの胃袋、さんざ満足させてきたのは一体誰だってんだよ、」
口調はアレなものの、サンジもルフィに忘れられてしまったのが少々堪えているのか、ルフィに向けられた眼差しは穏やかなものだった。
透明感のある、青い瞳にルフィの姿が映し出される。…その瞬間、今まで一切表情を変えなかったルフィに変化が現れた。
「ルフィ…?っオィ、どうした?!」
「何か思い出したの!?ルフィっ」
先ほどまで、どこか遠くを見ているようにぼぉーっと成り行きをみていただけだったルフィが、瞼を大きく開いてサンジを見つめていた。
ウソップとナミがルフィの変化に気付いて駆け寄るも、ルフィの視線はサンジから一向に離れない。
ルフィのかっと見開かれた黒い瞳に、サンジもどうしてよいものかと困惑する。
とにかく、自分を見たことでルフィに何かが思う所があったのはその様子からして間違いない。サンジはルフィの記憶を取り戻す鍵となれればいいと、更に距離を縮めてナミの隣に腰を下ろした。追うようにルフィの視線も下がる。
食い入るように見つめられサンジが困っていると、ようやくルフィの瞼がぱちりと閉じた。
「ルフィ…?」
目を伏せてしまったルフィにサンジは戸惑いながらも声をかける。
…が、ルフィはすぐに目を開け、サンジの顔を見返した。
そしてルフィはおもむろに口を開く。
「サンジ、って言うんだな、おまえ」
「…あ、あぁ。何か思い出せそうなのか?」
「いや?それが全く」
「はぁ?!」
なんだよ、期待させやがって…!と内心ぼやくサンジ。
他のクルー達も相当期待していたのだろう、ルフィのあっけらかんな返答に溜め息をこぼした。
が、そんなクルー達やサンジの落胆など知る由も無いルフィはおざなりに掛けられていたタオルケットから手を出して、そっとサンジの髪に触れた。
急な接触にサンジがハッとなるも、ルフィはサンジの髪を触るのをやめようとはしない。
「な、なにしてんだよルフィっ」
「…オメェのこと、全然知らねェんだ
…分からねェはずなのに、どうしてだろう」
「何がだよっ!」
髪を触る手つきが余りにも優しい。そっと髪を掬われては一本一本、親指の腹で撫でられる。
散々髪を撫でて満足したのか、今度その指先が頬へと伸びてきて…
クルーの前で野郎に頬を撫で回されている構図に、居た堪れなくなったサンジはルフィの手首をがしと掴んだ。
「一体おまえは何がしてぇんだよ…ルフィ!」
「…サンジ」
ルフィの声は何故か掠れていて、止めさせる為に掴んだはずの手は、いつのまにか逆に取られていた。
「俺、オメェが好きだ。」
“聞き間違いであって欲しい”
サンジは、そう願わずにはいられなかった。