浚風 サライノカゼ 4





その夜、不寝番を務めるサンジは明日分の食事の下拵えをやってしまおうとキッチンに立っていた。
今のうちに済ませておけば、必ず空いた時間が出来る。ほんの数分でもいい、とりあえずユックリできる時間が欲しかった。
ココの所一人になれる時間がなくてイライラしていた…。
それもこれも、

「ルフィの野郎が四六時中くっついて回るから…」

思い出すだけでまた苛立ってくる。血が頭に昇らぬよう、手元に置かれた灰皿の上で煙を燻らせるタバコを手に取る。
深く吸い込めば肺に煙が巡り、フゥと吐き出せば普段の冷静さが戻ってくるようで。

「…そもそも何で俺なんだよ。
俺が記憶喪失になったら、まっさきにナミさんとロビンちゃんのコト思い出すぞ?まぁ野郎共は一生忘れちまっててもいいかもな〜♪」

麗しき女性陣達を思い描いてメロリンモードに突入したサンジは腰をくねくねさせてはんナミすぁああん、ロビンちゅぁああん♪とハートを乱舞させた。
が、そうして妄想の世界を拡げてお花畑を駆け巡るサンジの耳に、人の気配を感じさせる音が聴こえてきた。

「くしゃみ…?こんな遅い時間に、まだ誰か起きているのか?」

時刻は既に次の日を跨いでいて、サンジは不思議に思いながらも甲板へ向かう扉を開いた。
2階から手摺りに肘を乗せ、辺りを見渡してみると船首の方に人影が見える。
赤いベストに見慣れた麦わら帽子…。

「ルフィか……。」

ここ数日のサンジの平穏を奪いとっている元凶である。
余りコチラから接触したくない相手ではあったが、着込んだ自分でさえブルリと肩を震わせる肌寒い夜にあの格好は放っておけないと、サンジはキッチンへ一度戻ってから不寝番用に用意していたタオルケットを手にルフィの元へと向かった。
だんだんと詰まる距離に、けれどもルフィは一向に近づくサンジに気付かない。ただただその瞳は、暗い海へと真っ直ぐむけられている。


「風邪、引くぞ。」
「っ!!」

渋々声をかけ、手に持ったタオルケットを押し付けるように突き出せば、ルフィは相当驚いたらしく大げさに仰け反った。

「サ、サンジ…」
「…さっさとコレで身体温めろ。」

もう一度サンジがタオルケットを突き出すと、ルフィはハッとしたようにタオルケットを肩に引っ掛けた。
そのぬくもりに、自分がどれだけ冷え切っているのかをようやく知ったルフィは、サンジにありがとな、と小さく微笑って返した。
わりと素直な反応に少し気を良くしたサンジは、そのまま戻らず胸ポケットから新しいタバコを一本取り出した。

「こんな時間まで何してんだオメェは。」
「…海、見てた。」
「能力者だろ、夜の海に気安く近づくんじゃねェ。万が一落ちたら、探すの大変だろうが」
「そう、だったな。ノウリョクシャはカナヅチなんだよな。ゴメン。」

根本的な知識までも失ったルフィには、夜の海が能力者にとってどれほど危険かを理解していない。
縁に捕まっていたルフィは手を離し、船首の中央付近へ移動して空を見上げた。サンジは眉を寄せた。

「寝ないのか?」
「サンジは、寝ないのか?」
「アホ。俺は不寝番だ。」
「あー・・確か、寝ずに船を見張る、んだったよな?」
「そういうコト。分かったらオメェはさっさと寝ろよ。」

サンジの忠告にも、どうやら、ルフィはまだこの場に留まる気でいるらしい。
これ以上は何を言っても無駄だな、と赤く灯ったタバコを片手に、サンジは早々に切り上げ階段へと向かって歩いていく。
海に落ちる危険さえ排除できたのなら、一先ず問題はないだろう。

「サンジ!」

立ち去ろうとするサンジの背中を、ルフィの声が止める。
その何処か必死な声音に、サンジはピンとくる。
さっさと去っても問題はなかった。おそらく求められる言葉は一つだけだから。

「何度もいうけどよ、俺はオマエのソレには答えらんねェんだよ」
「・・・。」
「頼むから、分かってくれ。俺だってオマエに当たりたくねェんだから…」

近づいてくるルフィの足音に、けれどもサンジは逃げなかった。
毎日鬼ごっこのように逃げ回る日々は疲れた。今後もそれが続くようならば、俺の神経がどうかしてもおかしくはないだろう。今こそ、コイツとちゃんと向き合って分かってもらうしかない。
俺は、ヤローに好かれても嬉しくもなんともないんだと。

「オマエのことはキライじゃねェ。けど、愛とか恋とか…そういうのは、オマエと俺の間で考えられねェんだ。」
「知ってる。分かってる。」
「分かってねェよ、分かってねェからこうずっと言い合いしてんだろ?」
「…サンジにメイワクかけてることも、十分理解してる」
「だからしてねェって…」

「聞けよっっ!!!」

いつになく声を荒げたルフィにサンジは驚き振り返った。
真っ直ぐに向けられた真剣な眼差しに、サンジは思わずたじろぐ。

「…ちゃんと、分かってる。サンジが俺と同じ好きにならねェこと。
…俺が、“俺”じゃねェってコトも、分かってる。」

「ルフィ…?」

「俺がどうして、サンジを好きなのか…。俺にも分からねェし、多分だけど…“俺”にも分からない。
この気持ちが、記憶を取り戻した後どうなるのか…、ずっと残り続けるのか、それとも消えちまうのか…何にも分かんねェ」

夜空に浮かぶ月の明かりを反射して、白く輝くその黒い瞳にサンジは魅せられていた。
その口元から語られる言葉の一つ一つを、一字一句逃さないように耳を傾け、聞き入った。


「けど、今こうして…ココにいる俺には、確かにサンジを好きだという気持ちがある。」


そっと、だけど脅えるように伸ばされる手に、


「これだけは間違いねェんだ…何にも覚えてねェ俺が、たった一つ。
唯一、この胸に抱いた、ただ一つの想い…」


ゆっくりと引き寄せられる、


「いつか、俺と共にこの想いが消えてなくなるなら」


近づく瞳に、俺の姿がハッキリと映る、





「今だけでいい…」



――― 俺を、見て……










立ち昇る煙は、夜の空を静かに揺らした…―――

《4》