浚風 サライノカゼ 6





昼飯を済ませて買出しへ向かった4人を見送ったクルー達は、午後の朗らかなひと時をのんびり過ごしている。
キッチンで食器を洗っていたサンジも、その手を一旦休め、慣れた手つきで自分用のティーカップに紅茶を注ぎ、カップを片手にアクアリウムバーへと降りた。

誰かしらいるとおもわれたその場所に人の影は無い。

参ったな、一人でいると余計な事ばかり考えてしまって…誰かと話していたほうが気が紛れるのに…
紅茶をテーブルに置いて、サンジはソファーに深く腰をおろした。


「静か、だな…」

こう静かだと、また思い出してしまうじゃないか…。
サンジは背もたれに深く背を預けたまま天上を見上げる。水槽を通して広がる淡い光の海に目を細めた。
何も考えないように、と何度も脳裏で念じるも、指先は自然と自身の唇へとあてがわれていて。

無意識に親指の腹でそっと撫でてみる。

「・・・。」

あの晩のぬくもりを求めているような指先の動きに、サンジは気付かない。
ルフィの瞳にみた、あの物悲しい笑顔だけがサンジの心を締め付け続け、離さないのだ。

「…クソ、ルフィのヤツ…消えるとか、無くなるとか…
ヘンなコトばっか言いやがって…」

サンジはゴロリとソファーへと寝転んだ。
行儀が悪いかもしれないが、このまま寝てしまおう。

―――今は、何も考えたくはなかった…。



* * *



「えっと、後はウソップが欲しがってた兵器用の調味料と、卵。
医療用のハーブを数種類、あとインクだね」
「これはこれは、随分と大荷物になりましたねェ〜…ロビンさん、ソチラの荷物、持ちましょう」
「ありがとうブルック。でも大丈夫、貴方ほど持ってはいないから」

どこかで荷台を借りてくるよ!と走っていくチョッパーに、先に次の店へ行ってるわね とロビンが声を掛ける。
ウンと頷いてみせたチョッパーに安心してから、ロビンはルフィに振り返った。

「さぁ船長さん、行きましょう?」
「…あ、うん」

船を後にしてからはずっと遠くを見つめたままボォーっとしているルフィに、ロビンは困ったように首を傾げる。

「疲れてしまったかしら?」
「チョッパーさんが荷台を調達してきてくださるまで、荷物お持ちしますよっ」
「だ、大丈夫だ!…ゴメンな?
俺さっきっからまったく役に立ってねェ…」
「ヨホホ〜〜♪そのようなことお気にせずっ!!」

ささ、荷物預かりますよっと、ルフィが断る前に荷物を奪い取られてしまう。
歩き出したブルックとロビンの後ろを、手ぶらになってしまったルフィは申し訳なさそうに俯き、二人に着いていく。

こんな調子じゃダメだ。俺も役に立たねェと…!
そう思っているはずなのに、身が入らない。気持ちが常に別の所へと向かっていく。

サンジ…怒ってるよな?嫌だっていってたのに、あんなコトしちまって。
心底嫌われただろう。…もしかしたら、“俺”のコトさえも、嫌ってしまったかもしれない。
“俺”にメイワクかけたら、どうしよう。

そんなことばかり、考えている。


「ルフィー、着いたわよ」
「おや、ちょうどチョッパーさんも戻っていらっしゃったみたいで…」

ロビンの呼びかけにハッと顔をあげると、いつの間にか小さな病院の前に立っていた。
どうやらチョッパーが必要としていたハーブをココで分けてもらうらしい。荷台を置いたチョッパーが製薬レシピを手に受付へと駆けて行く。
その間他の3人で借りてきた荷台へ調達した品々を積んでいると、突如病院の中からチョッパーの悲鳴が木霊した。

「な、なんだっ!?」
「今のって、チョ、チョッパーさん、ですよね!?」

何事かと病院へ振り返る3人。中へ踏み込んだ方がいいかと、早速実行へ移そうと3人が身構える。
だが、バーンっ!と勢いよく開いた扉から、涙を貯めているものの至って無事そうなチョッパーの姿が確認できた3人は驚きながらも戦闘体勢を解く。
ぐずぐずと鼻を鳴らしながら、チョッパーは物凄い速さで走り出した。うおぉおおおっ!と奇声をあげながら飛び込んだ先は、ルフィの胸元で。
反動でフラつきながらもしっかりチョッパーを受け止めたルフィは、ぐちゃぐちゃになったチョッパーの顔を覗きながら口を開いた。

「ど、どうしたチョッパー?何か怖い事でもあったのかっ」
「ぐずっ…ぢ、違うんだ…!違うんだルフィっ
でもな、でも、俺゙、嬉しくでっ…!」
「嬉しい?」


「あのなっ、ルフィ…ルフィの記憶、ぐすっ
戻るかもしれないんだっ!!」


その言葉に吃驚した3人は顔を見合わせた。
お互い目をぱちくりさせながら、それでもロビンとブルックは次第に顔を綻ばせ、笑顔を見せた。

が、ルフィは素直に喜べなかった。
うぉんうぉんと笑い泣きをするチョッパーを抱っこしたまま、ルフィはバレないようそっとため息を溢した。

(案外、早かったな…)

脳裏に浮かんだ金色に、そう呟いて…。



* * *



あれから何時間経ったのだろう…?
ぼんやりと霞みがかった世界からゆっくりと意識を揺り起こす。
身体を起こして外を伺うとまだ日は明るく、夕食の仕込みに取り掛かるには些か早い時間であることが分かる。
どうせならもう少し寝ていればよかったのに。それでも、いまさらもう一度寝る気にはなれなくてサンジは顔を洗おうとキッチンへ向かった。

甲板に出ると、ちょうどフランキーとウソップが芝生甲板の中央部から上がってくる姿が見えた。

「ご苦労さん、船の整備は終わったのか?」
「アゥ!俺様達の手にかかりゃー、こんなコト朝飯前ってな!」
「おうともさ!そんでなぁ、俺達働き通しで喉渇いちまっててよぉ。なんか飲み物出してくれねェか?」
「お安い御用だ、今ちょうどキッチンに戻る所だから着いて来い」

サンジの後についてキッチンへとやってきた二人は、カウンターへ腰掛けて新しい兵器の発明話に花を咲かせる。
兵器などさして興味もないサンジだったが、飲み物を出すタイミングを狙って、さり気なく話題の中に混ざることにした。
相槌を打つ事ぐらいしか出来ないが、それでも何もしていない時よりはよっぽどマシだった。

分かってる。俺は逃げているんだ。

あの夜の出来事から…ルフィの、想いから…


「・・・ん?」

暫く話し込んでいると、ふとウソップが訝しげに窓の方へ視線を向ける。
その様子に、最早聞いているだけだったサンジが不思議そうにウソップの名を呼んだ。

「おい、どうかしたか?」
「…今、ヘンな声しなかったか?」
「ヘンな声だァ?…聴こえるか?サンジ」
「いや…聞こえな」

フランキーに返しながら耳をすませていたサンジに、次の瞬間確かに遠くの方からオーイと叫ぶ声が飛び込んでくる。
それにフランキーも同時に気付いたのだろう。3人は何だ?と首を傾げる。
声はだんだんとこちらに近づいているようで、その声の目的とする場所がこの船であることは明白だった。
するとキッチンの扉が開いて、外からゾロが顔を覗かせる。

「向こうで何かあったみてェだぞ」
「向こうって…買出しに出て行った4人に、か?」
「あぁ、ブルックが海上走ってこっちに向かってきてる。」

船も使わず戻ってくるなんてよっぽどの事だろう、とゾロは早々に切り上げ船尾の方へと向かった。

「他の奴らは一体どうしたんだ?」
「と、とにかく俺達も外に出ようぜっ!」

慌しくウソップとフランキーが出て行く。バタンと閉じられた扉を前に、サンジは彼等のように飛び出す気にはなれなかった。
ひどく悪い予感がしたのだ。いや、だがもし、自分の予想が当たっていればそれは俺にとっては吉報ではないのか?
それにまだそうとは決まっていない。もしかしたら資金が底を尽いてしまって取りに戻ったとか、ミニメリー号が盗まれたとか。
他にも色々起こりうる事態はあったのだ。
それなのに俺の頭ではもう“ソレ”以外、考えが回らなかった。

「・・・。」

ふぅ、と息を吐いてからサンジは静かにキッチンの扉を開く。同じくして、海上を勇壮と駆けてきたらしいブルックが『ボーンっ!!』という掛け声とともに飛び上がり、勢いあまってメインマストへ突撃するシーンをバッチリと拝んでしまった。
そのまま芝生甲板めがけて真っ逆さまに落ちていく骨を、哀れな目で出迎えてやる。

「・・着地位置考えて飛べよ」
「ゼェ、…ゼェ、骨がっ、折れま、した……ぜぇ、ぜぇ!」
「あー、大丈夫。何処もくっついたままだ。」

ブルックが息を整えている間に、他のクルー達も集まってきた。
彼を囲むように集まったメンバーに、だがサンジだけはキッチンの扉の前から動かなかった。
動けなかった、といったほうが正しいかもしれない。

「お帰りブルック…って雰囲気じゃないわね、何かあったの?」
「そ、それがですね皆さん!大変なんですよっ!!」
「ルフィ達はどうしたんだ?何でオマエ一人だけ帰ってきたんだ」
「いやそれはモチロン、急ぎ皆さんにこの重大事件をお伝えせねばとっ…!ですがいくら身軽とはいえこの距離を駆け抜けるのは至難の業…明日は筋肉痛ですね!
って、ワタシ筋肉ないんですけどもっヨホホホホ〜〜♪」
「それはどうでもいいからさっさと話せっ」
「手厳しぃい〜〜〜っ!!
いやいや、それより皆さんっ、聞いてください!!
なんとなんと、ルフィさんの記憶がっ…!」



――あぁ、やっぱりな



サンジはそれ以上聞く必要はない、と踵を返す。
ブルックの言葉に船内は歓声に包まれる。だがその場にサンジの姿はなかった。

《6》