サンジはとにかく困っていた。
自分から言い出したこととはいえ、この場の空気感はとても耐えられそうに無いもので…。
「わ、わりぃ…ちょっと、アッチ、向いててくれねー、か…?」
「アッチ??おお、分かった。」
そう言うとルフィはサンジの指示通り、自分と反対側にある窓側へと身体を向けてくれた。
ホッと息をついて改めて手元の作業に戻ろうとした時、視界が彼のうなじ辺りを捉えてしまい、思わず目線がそこでストップしてしまった。
乱雑に伸びた黒髪に隠れて、適度に焼けた肌の色。すらりと、しかししっかりとした首筋は真っ白な胴着の下へと続いていた。
制服からではただ細くて小柄という印象しか受けなかった彼は、胴着を纏った今の姿では案外と肩幅もあり、確かな男らしさがありありと見てとれた。
野郎嫌いを自他共に認めているはずのサンジが、思わず釘付けになってしまう。
不思議な魅力を醸し出すソイツに、サンジは動揺を隠し切れない。
(どーすんだよ、この状況…っ!こんな中、ちゃんとした飯、作れんのかよ…っ)
彼、ルフィに気付かれないよう、水道で手を軽く濡らして顔全体を包み込むように手のひらで覆う。
ひんやりとした水の冷たさに高揚していた気分が少し落ち着いたように感じた。
『あーー、うまかったっ、ごちそーさん!』
『……あぁ、まぁ、…お粗末さん…』
ひらりと舞い落ちたアルミホイルを拾い上げるサンジの表情は未だ喜びが隠し切れないようで、勝手に緩む頬を無理矢理引き締めようとする。
それでも表情が定まらず、にやついたりしかめっ面をしたりとコロコロ変わる表情をルフィに指摘され、やっとサンジは心を落ち着けることができた。
―― 目的を達して得られたものは、予想以上に大きくて。
料理人としての、真の喜びを今はじめて感じることができたサンジは、まだこの余韻に浸っていたいという欲求が抑えられなかった。
『な、なあ…まだ、腹減ってたり、するのか?』
『おお、全然減ってるな。』
その言葉通り、ルフィの腹からけたたましく鳴り響いた恐竜のうめき声もどきに、軽く噴出しながらもサンジはつい…
…何度も念を押すが、本当につい口をついて出てしまったのだ。
『じゃあ、よォ…他にもなんか作ってやろうか?』
『ホントかっ!?!オメェの飯、また食えんのか!?』
『あっいやっ!!オ、オマエが、食いたいっつーなら、オレは別に構』
『食いてぇ!!食いてぇよっ!!一昨日の、あのトロっとした肉の塊とかっ!その前の霜降り肉のステーキもうまそうだったよなぁ〜…』
ぼんやりと宙を見つめ、口の端から涎を一筋垂れ流したルフィ。
無視され続けてきた自信作達が、彼にこんな表情をさせているかと思うとサンジは居ても経っても居られなくて、未だ夢うつつなルフィの腕を引いて調理室まで連れてきてしまったのだ。
昨日まで嫌悪感丸出して、姿を見ただけで逃げられていたのがまるで嘘のようだ。
(だいたいっ、コイツも簡単に絆されすぎんだろ!?オレがウソついてないって保証だってねェってのにすんなり信用しやがって…!)
それが嬉しいことは自分自身重々知っている。が、急展開すぎて心が付いていけてなくて、ルフィに対して理不尽な八つ当たりばかりを並べ立ててしまう。
(思ったよりも人懐っこいっつぅか…ガードが甘いっつぅか…。
いや、懐かれるのも受け入れられてんのも全然イヤじゃねぇけどもっ!なんか、その…あれだよ!えぇーっと…!!)
キャパシティをはるかに超えて、纏まらなくなった思考。
目を背けて現実逃避に走りたくもなるが、けたたましい恐竜の雄たけびとルンルンと肩を揺らして自分の手料理を待ちわびる現実《ルフィ》が、それを許さない。
(今にも鼻歌歌いだしそうなぐらいご機嫌だな…コッチはオマエのことで頭破裂しそうだっつーのに…あーーーっ、こうなったらヤケクソだ!!)
考える事を放棄したサンジはそれこそ瞬く間に数種類の肉料理を完成させ、ルフィの前へと配膳した。
ボリュームだけを重視したありとあらゆる肉の盛り合わせや、口直しにサッパリと食べられるサラダ風の冷しゃぶ、骨から出汁を取って薄めに仕立てたスープなど。
どの料理にもルフィの好物である肉が使われてはいるものの、味付けや調理法、盛り方などはさまざまに工夫されており、ルフィは目の前にならぶご馳走の数々に目を光らせた。
「すげぇ…みただけで美味そうって分かるものばっか…」
「っ…。…いーから、冷めちまうから、さっさと食ってくれ」
最早、ルフィの口から“美味そう”という言葉が出るだけでも過剰に反応してしまう自分が恥ずかしくなって、サンジは油で汚れてしまったフライパンを片手にいそいそと洗い物を始めた。
蛇口から溢れる水の音に混じって何度も聴こえてくる「うまいっ!」の一言。込み上げる嬉しさは変わらずサンジの精神を良い意味合いで蝕んでいく。へらりとだらしのない表情が流れる水道の水に映るたび、顔を大袈裟に振って引き締めなおす作業に追われるばかり。
結局、フライパン一枚すら洗えぬ間にペロリと完食してしまったルフィに促され、渋々サンジは手を拭いてルフィの隣へと腰をおろした。
「…どうやったらそんな顔中汚せるんだよ…」
「んー、どれもこれも美味すぎて、気付いたらこうなってた。」
何のかは分からないが、覚悟を決めてルフィへと振りむいたサンジが見たものは顔中に飛び散った肉の小さな破片やソースを貼り付けたルフィで。
幼少から骨の髄までテーブルマナーを叩き込まれているサンジとしては赦してはならない状況も、ルフィから零れた“美味い”という一言が一種の沈静剤となってしまう。
普段から持ち歩いているポケットティッシュを2,3枚とって、サンジは甲斐甲斐しくもルフィの顔中に飛び散った汚れを一つ一つ綺麗に拭い取る。
大人しくサンジの好意に身を任せていたルフィ。べたつく顔の汚れがなくなると、ルフィはニッと白い歯を見せて笑顔を見せた。
「ありがとなっ!」
「あ……いや、…なにやってんだろ、オレ…」
お礼を言われるまで、ほぼ無意識でやっていた。汚れたティッシュを戸惑いながら丸めてゴミ箱の方へと投げ入れる。
ルフィに顔を背けるように身体を傾け、サンジはそっと頭を抱えた。
(おいおい、野郎相手にホント何やってんだオレ…!)
顔を拭ってやるなんて、レディにすらしたことがない。それが野郎となれば、論外だ。むしろ無作法な振る舞いに一発蹴りをかましている場面だったろうに。
ルフィを相手にしていると、どうにもリズムが崩れてしまう。オレという人格が、造りかえられていくような気がして恐怖すら覚えてしまう。得たいの知れない恐怖感にサンジが身を震わせた瞬間、隣から妙な唸り声があがった。
「ん〜〜〜、けどやっぱ。」
「・・・あ?」
「さっき食ったおにぎりが、一番うまかったな!」
「え…。」
思わずサンジは間の抜けた声を出してしまった。それもその筈。あのおにぎりと今作った料理とでは、明らかに出来が違いすぎたのだ。
オーナーゼフから出された急な課題に何の準備も出来ていなかったサンジは、藁にも縋る思いでネット上に溢れる庶民の知恵を借りることぐらいしか出来ず、工夫したという面以外では極普通の素朴なおにぎりしか、作れなかったはずだ。
それに対してこちらも急ごしらえとはいえ肉料理フルコースは料理の腕前もそうだが、食材の質という面でも圧倒的に優れている。どう考えても、今作った料理の方が美味かったはずなのだ。
サンジは納得のいかない様子で、ルフィに詰め寄った。
「…どうして、そう思った?」
「んーーー。はっきりとは言えねェけどな、…今食った肉には、こう…あたたかさがなかった、っつぅか…。」
「・・・・は??」
「あ、冷めてたって意味じゃねーぞ?!…なんかこう、“想い”っていうか…。
食って欲しい!って気持ちはすげぇ伝わってきたんだけどよ、なんか見てくればっか気にしすぎてて、エンリョしちまうっていうか…」
「・・・っ!!」
「ほら、さっきの肉な?こんな柔らかくて脂身たっぷりの、勿論食ったことねぇ。すげぇ高いモン使ってんだなっておれでも分かる。けど、それだけなんだよな。
でもさっき食ったおにぎりの中に入ってた肉は、元からそうだったって風じゃなくて、オマエがおれに食わせようとして、考え抜いて作ったんだってカンジが凄くしてさっ!」
驚くべきことに、ルフィの言っていることはすべて正解だった。
この調理場に置いてあるものは、わざわざ自宅から持参してきた、選りすぐりの食材ばかり。値段も勿論質に見合うだけの対価が支払われていた。
だがあのおにぎりに使用した具材は、取り寄せる時間もなくて、あの日の帰り道に渋々立ち寄ったスーパーで購入したものを使っていた。
夕暮れ時で、品薄になる時間帯だったのもあって満足のいくような食材が手に入らず、どうしたものかと頭を悩ませたものだ。
ほぼ赤色のオマケ程度に脂身を含んだ安物の肉を、如何にして活かすべきか。料理人として備えもった知識とネットの知恵を振り絞り、完成したのがあの甘露煮風の牛コロステーキだった。
「そりゃ、高い食いもの使ったら大抵なんでも美味いかもしんない。
おれも食うなら美味しいものに越したことはねぇけど、料理はそれだけが重要ってわけじゃねーだろ?」
「やっぱ、作ってくれるヤツの想いがいっぱい詰まってる方が、ぜってぇ美味いメシになる!!」
自信満々に言い放ったルフィの清々しいまでの笑顔に、サンジは電流が走ったかのように大きく身震いしたのだった。
暗闇に支配されつづけてきた世界に目を瞑りたくなるような眩い閃光が駆け抜ける。
光は闇にヒビを入れて、崩壊した破片はガラガラと大きな音をたてて崩れ落ちていく。
(見つけた…。オレの、“失っていた”ものが…今、ようやく分かった!)
―― ルフィが全部教えてくれた。
やっぱりオレがおもった通り、ルフィがすべてを握っていた!
感極まったサンジは隣のルフィに向けて両手を拡げ、そのまま覆いかぶさる。
「サンキュー、ルフィっ!!!!」
「…おわっ!?ちょ、何すんだオィ!?」
急に抱きつかれて慌てまくるルフィだったが、サンジの目尻に浮かんだ涙の粒をみて、ぱたりと動きを止めた。
ルフィの抵抗が止むと、サンジは更に力をこめてルフィをぎゅっと抱きしめる。ボロボロと溢れてくる涙を止めることが出来ないままサンジはルフィに縋りつくしかなかった。
戸惑いながらもルフィはサンジの背に腕を伸ばして抱き返し、急に泣きじゃくりはじめてしまった2つ年上の先輩の肩をぽんぽんと優しく叩く。
「…よく、分かんねェけど…泣かせちまったな、おれ」
「っ…違う、悲しくて泣いてるんじゃねぇ…嬉しいんだっ…!
それにおまえの所為じゃない…いやおまえのお蔭なんだ…っ。これでようやく前に進める…っ、やっと、」
「そっか。…やっぱよく分かんねェけど、サンジが喜んでんなら、それでいい」
目尻を赤く染めたサンジがハッと顔をあげる。その驚きを貼り付けたような表情にルフィは首を傾げたが、あっ、と何かに気付いたように口を丸く開いた。
「やっぱ先輩ってつけたほうが良かったか?おれそーいうの苦手でさ…、つい呼び捨てにしちまうんだけど」
「いや、…いや、いい。オレが気にしたのは、そこじゃねェし…。」
初めて名前を読んだ、というところがサンジにとって重要だったのだが、当の本人はまるで当たり前のことだというかのように振舞っているのでサンジはあえて否定しなかった。
ルフィの肩口に再び顔を埋めてぎゅうと抱きつけば、ルフィは耳元にかかるサンジの髪がくすぐったいのか、身を捩りながらおかしそうに笑った。
(なんでだろう…コイツにくっついてるとすげェ落ち着く…。落ち着くけど、同時に心拍数もあがって、落ち着かねェ…。)
トクン、トクンと、徐々に速度をあげる心音が嫌に耳についた。
年甲斐もなく泣いてしまった所為もあるだろうと結論づけて、サンジはルフィの身体をぎゅうと抱きしめ続けた。
暫くするとケラケラと笑っていたルフィが、はァーっと息を大きく吐いてからサンジのハニーブロンドの髪をくしゃくしゃと撫ぜ始めた。
「…サンジって、最初はすげぇ嫌なヤツだと思ってたけど、」
「嫌なヤツで悪かったな…。」
「しし、怒るなよっ、最初はそーだったけど、今はすげぇ可愛くみえる。まるでウソップん家で飼ってる爬虫類の…」
「待てコラ!爬虫類のってなんだよ爬虫類ってっ!!!!」
可愛いという言葉に対しても苦言を呈したい所ではあったが、よもや爬虫類と同類にされてはたまらないとばかりに顔をあげたサンジ。
怒りでカッとあがった熱。が、しかしこの数秒後…その熱は別称を変えることとなる。
「…まー、なんでもいいや、とにかくサンジ!」
“うまいメシ、食わせてくれてありがとうなっ…!”
―― ちゅ。