ウソップはたいそう困っていた。我が親友でもあり寮でのルームメイトであるルフィの機嫌が、ここしばらく悪いままなのだ。
単純に彼の尋常ならざる食への欲求が満たされていない所為もあるかもしれない。が、それにしては根が深く、ずいぶんと長引いているような気がする。
他にルフィの機嫌を損なうような出来事があったのではないかと、ウソップは薄々気付いてはいたのだが
「る、るふぃクン?
ゴキゲンうるわしゅー・・?」
「なんだよウソップ、わけわかんねぇ事言ってんじゃねぇ」
「うぅ・・ルフィ〜、おめぇ一体全体どうしちまったんだよぉ」
「・・・。」
なにぶん、当のルフィがこれなので取り付く島もなかった。
それでもこんな状態の親友を放っておけないウソップ。
なんとか打開策はないものかと、自分と同様に困惑の表情を浮かべるナミに縋り付いた。
「ナミぃ〜、おめぇルフィのこの状況に思い当たる節ねぇか〜?!」
「うーん・・・
そうねぇ、一個だけ思い当たるような、ないような気もするけど。」
「なんだよ知ってんのかよっ!!」
「でもそうとは限らないから私も対応に困ってんじゃない!!」
まぁでも、ルフィの機嫌が急に下がり始めた時期から考えてまず間違いないでしょうね…とナミは心の中で呟く。
校内でもかなりの女好きで、逆に男に対しては容赦のないことで有名な1つ上のサンジ先輩。
彼が一人、調理部の活動がない日に決まって調理室を利用しているというのは女生徒達の間では周知の事実であった。そこで作られたであろう彼の料理はどれも絶品で、よく女の子に振舞っている姿を目撃していた。かくいうナミもその一人ではあったりするのだが。
そんな彼の元に飛び込んでいったのが、机に肘を突いてむくれた表情を見せる、何処からどうみても女の子には見えない野生のお猿さんじゃあ…。
「ルフィ、ゴメンね。
私が良かれとおもって教えたコトが、こんなことになっちゃうなんて…」
まず間違いなく、二人の間で諍いが起こったのであろう。
だが、何事に対しても大らかでちょっとやそっとじゃ滅多に怒らないルフィをこうまで不機嫌にしてしまった事態に、流石のナミも今回ばかりは頭を下げた。
が、ルフィはそんなナミをチラと見上げておめぇは関係ねぇから謝られることは何一つねぇと感情のない言葉で返されてしまい、どうやら彼の地雷を踏んでしまったらしい。
やってしまった…と頭を抱えるナミ。するとすかさずウソップがナミの小脇を肘で突いた。アレ、出すぞと視線で訴えかければナミは合点がいったように自分のカバンから小さな包みを取り出した。
「ルフィ、機嫌直して?ね、ほら、アンタのためにクッキー焼いてきてあげたんだから!」
「おぉお!そういえば俺様も購買でチョコレート買ってきてやったんだぞ!ちょっとは腹の足しになるだろ?これ食って元気だせっ!なっ」
「・・・ありがとな、おめぇらホントいいヤツだ」
どんなに機嫌が悪かろうとも、食い物の匂いにはやはり過敏に反応してみせるルフィ。
ナミとウソップの手に置かれたお菓子を見つめ、ルフィはやんわりと目を細めてみせた。ちょっとは機嫌が直ったのか?と二人は顔を見合わせた。
が、ルフィから“いつもの”が来ないことを疑問におもった二人が、再びルフィに目を向ければ彼は机に置かれたチョコレートとクッキーの包みをじっと見つめていて。
「ど、どうしたのルフィ、食べないの?」
「そうだぞ、おまえの為にわざわざ用意してやったんだ、遠慮なく食えよな」
「んん…ありがとな、二人とも。」
そういうとルフィは受け取ったお菓子をカバンにしまい込み、すくっと立ち上がって教室を出て行ってしまった。
「え、ちょ・・ルフィ!?」
「部活。」
慌ててナミが廊下に飛びだせば、ルフィは端的に答えて再び前を向いて廊下を進んでいく。
今日は部活のある日だったか、と、おそらく武道場へと向かっているルフィをナミとウソップは慌てて追いかけた。
今日は、風紀員の担当日ではないのでこのままルフィの空手部の見学でもしようか。帰宅部のウソップも進む方向が変わらないところを見るに同じようなことを考えているに違いない。
そんなコトを思いながらナミは前を歩くルフィの背を見つめ、ひとりそっとため息を零した。
二人にとってルフィという存在は大切な友人であり、親友であり、そして大事な仲間なのだ。
ルフィを起点として、私が…ウソップが、沢山の仲間がいる。彼等の繋がりの中心に位置しているルフィがこうも不調だと、おのずと周りも調子がでない。
それだけの影響力を持つ。それがルフィという存在の凄さなのかもしれない。
「ねぇ、ウソップ。ルフィの部活が終わったらそのあと寮の門限まで何処か行かない?」
「おお!いい考えだなそりゃっ!それならアイツも誘うか?武道場行くんなら多分居るだろ?」
「そうねー、3年になってもう引退してるってのにあの剣術バカが竹刀持たない日なんてなかったもんね」
すこしでも雰囲気を和やかにするためにナミとウソップはこの場にいない仲間のひとりの悪口を次々口に出す。マリモだとか、緑だとか、それはそれは酷い言われようだ。なんとかルフィも会話に参加してこないものかと待ち望みながら…。
しかし、話がヒートアップしてきた二人は、急に立ち止まったルフィに気付かぬままその背中に思い切りぶつかってしまった。
ウソップの長鼻がルフィの後頭部に突き刺さりグキッと嫌な音をあげる中、したたかに肩を打ったナミは軽く打った部分を擦りながらルフィを見上げた。
「痛っ!!ルフィ、急に止まらないでよっ!」
が、ルフィはナミの声に一切の反応を示さなかった。
様子がヘンだと、不審におもったナミはルフィの前に回り込んで彼の表情を覗き見る。
じっと前方を見つめたまま動かないルフィに、首を傾げながらナミも彼の視線を追ってみれば、そこには…、
「あれ、サンジ先輩・・?」
「げぇ!?さ、さんじ先輩って、まさか・・あのっ!?」
ウソップはあからさまに表情を歪めてみせた。まぁ同性にとってはサンジという名はかなり悪名高いらしいので、仕方がない反応と言える。
が、正直今はウソップの事はどうだって良かった。ナミはウソップのシャツを引っ張り、耳元に口を寄せた。
「ルフィが機嫌悪くした原因。多分、あの人の所為よ」
「・・なにっ!?」
途端、サンジを前にして苦虫を噛み潰したような顔をしていたウソップの表情が変わった。
何をしたかまでは知らないが、親友であるルフィをここまで不愉快にさせた原因かもしれない男と知っては、ウソップは黙ってはいられなかった。
怒りを露わにするウソップが一歩前に出ようとした瞬間、ナミは慌てて待ったをかける。
「何すんだよナミ!」
「多分って言ったでしょ多分ってっ!!」
相手の出方を伺いましょうと、ナミはウソップを引き止めた。サンジはかなり前からこちらに気付いていたようで、間違いなく自分達の方へと向かってきていたから。
ルフィの前に立つのかと思いきやサンジは軽くルフィを無視し、ナミの前に立って、紳士のように恭しく腰を傾けお辞儀してみせた。
「これはこれはナミさん、ご機嫌いかがですか?」
「え、えぇサンジ先輩。どうもこんにちは、」
「ナミさんとこんな所で逢えるなんて光栄です、今日も変わらず美しい」
まぁ、確かにここは1年生の教室が並ぶ階だから偶然といえるのだろうが。
逆にそれなら何故、3年生であるサンジ先輩がここに?とナミが訊ねようとした直後、サンジの目が微かに動き、サンジの右肩の後方に立っているであろうルフィに向けられたのに気付いた。
やっぱり、サンジはルフィを気にしているのだ。男なんてどうでもいいと公言しているこの男が、だ。実際、ナミの隣にいるウソップには今の所、目もくれていなかった。
と、サンジは再びナミに人当たりの良さそうな笑みを浮かべて、良かったら・・と口を開いた。
「これから調理室を借りて、ケーキでも焼こうかなと思っていた所なんです。良ければ食べにいらしてくれませんか?」
「え、んー・・有難い申し出なんだけど、先約があって」
「先約?コイツと、・・それからそっちの長っ鼻と、ですか?」
「なっ!!長っ鼻とはなんだっ!!!」
サンジは、さり気ない雰囲気を装って会話の中にルフィとそして今ようやく気付いたらしいウソップを入れてから、
軽く肩を落とし仕方がないな…と、さも本意ではない事を見せ付けるかのように呟いてから、
「正直ヤローに振舞う気なんてさらさらないんですけど。
ナミさんと楽しいひと時を過ごす為ならば、涙を呑んで我慢しましょう!」
ナミの手をギュッと握り締めたサンジ。が、ナミはもう分かっていた。
サンジが気にかけているのは自分じゃない、明らかに彼の背後にいるルフィに意識が向かっている。
彼はおそらく気付いていないのだろうが、先ほどから難癖つけてはチラチラとルフィの出方を伺うような素振りを見せている。
一切反応をみせないルフィに対して、彼が焦れていることさえ伝わってくるほどに…。
「・・分かったら、てめぇらもさっさと来い。
オレの自慢の料理、食わせてやるよ。ありがたく思え」
何も動きを見せないルフィに、とうとう痺れを切らしたのかナミの手を離して振り返り、ルフィの肩にそっと手を置いた。
途端。
バシッ!
「なっ・・!」
ルフィは素早い動きでサンジの腕を払いのけ、動揺するサンジを置いてそのまま歩き出した。
「オィ、なんだよ!
せっかくこのオレが野郎相手に食わせてやるっつってんのに!」
慌てて覚醒したサンジが、今一度ルフィの肩に手を伸ばし思い切り引き寄せてルフィの進行方向を塞ぐように前に立った。
が、ルフィはそんなサンジを無視したまま押しのけて先を急ごうとするから、
「てめぇ腹減らかしてんだろっ!!!!燃費の悪い腹してるって、1年の間じゃ結構有名らしいじゃねぇか!
そんなてめぇに飯作ってやるってんだから、素直に言う事聞い」
「・・・わっかんねェヤツだな。」
「あぁ!?」
ようやく口を開いたルフィは、サンジの襟元をぐっと掴みあげる。
身長差があったため持ち上げることはなかったが、それでも首元が絞まることで苦しそうにもがくサンジに、ルフィは怒りに満ちた表情で、
「あん時も言ったが、おれはテメェの作るモンだけは絶対食わねぇ!!」
「っ!!!!」
「テメェみてぇな食いモン一つ大事に出来ねェようなヤツ、料理を作る資格なんてねェんだ!!!!」
ルフィのその一言に、サンジは抵抗していたはずの動きをピタリと止めてしまった。
明らかに様子がおかしくなった彼は、まるでルフィの言葉に傷ついたかのように茫然自失といった感じでその場に立ち尽くしてしまう。
言い返してこなくなったサンジを一瞥してルフィはサンジの襟首から荒々しく手を離し、彼の横をすり抜けスタスタと先へ行ってしまった。
状況が把握できないままやっと覚醒したウソップがあわてて後を追っていく。が、ナミはサンジの異常な豹変振りが気になってその場に残ることにした…。
お目当てであったはずのナミがその場に残ってくれているのに、サンジは彼女に気付くことなく、ただただ遠ざかっていくルフィの背中だけを視界に捉え続けていた。