あれから2週間。
ルフィの表情には極度の疲労の色が浮かんでいた。
理由はただ一つ。
ルフィがサンジに掴みかかったあの日から、サンジの猛攻とも呼べる怒涛の攻撃が始まったのだ。
といっても、暴力を振るってくるといったわけではない。
何をしてくるのかと問われれば。
ルフィの目の前に、美味そうな料理をただただチラつかせてくるのだけの事。
だが、サンジのその行動は常時空腹と激しい闘いを続けるルフィにとっては暴力以上に甚大なダメージを与えていた。
それは放課後を知らせる鐘の音と共にスタートし、教室・廊下・武道場・下駄箱・運動場、
校内のありとあらゆる場所で突如ルフィの行く手を阻止したかと思えば、これ見よがしに皿を見せびらかしてくる。
それは毎日、一つとして同じ料理は出てこない。
が、すべてに共通しているのはメインを荷う食材が“肉”であるという事。
皿の上で肉汁をじわりと滴らせ美味そうな匂いを惜しげもなく香り立たせる肉。
大好物がすぐ手の届く距離にあって、『待て』が出来るほどルフィはガマン強い方ではない。
それを相手は見透かしているかのように、サンジはルフィの出方を何処かワクワクとした様子で伺っている。
だが、ルフィにも意地というものがあるらしく“絶対に食わない”と宣言した手前、苦渋に表情を歪めるもついには誘惑を振り切って逃亡を図るのだ。
逃げられてしまえばやはり落ち込むのだが、サンジはそれでもめげずに追いかける。
あの時のように“絶対、死んでも食わねぇ!”と逃げ台詞を残していく割には、ルフィの目はサンジの作った肉料理に釘付けだし、口からは涎を滝の如く垂れ流しにしているから。
間違いなく、揺れているのだ。空腹を満たしてくれる魅惑の香りに。大好物である、肉料理に。
―― あと一歩だ、あと一歩でルフィの牙城を崩すことが出来そうなのに。
揺れているならもう一押しとばかりに、
逃亡を図るアイツを無理矢理止めて再アタック出来れば一番良かったのだが。
「流石空手部のホープだけのことはある…。
オレもそこそこ足には自信があるってのに、ブッチ切りで引き離しやがって…!」
イライラと髪をかきあげながら、さて今日はどんな肉料理で攻めてやろうかと胸元のポケットから小さなメモ帳を取り出した。
ページを開くと其処には多種多様の肉料理のレシピが書かれていた。メモ帳には最終ページまでびっしりと文字が並んでおり既に料理済みなレシピには文字の上に棒線が引かれていた。
メモ帳を見返す限りあらかたの料理は試した。後はどれだけアイツの食欲に訴えかけられるかが問題だ。
―― 意地を張り続け、断固として折れないアイツが、思わず手にとってしまいそうな…そんな料理を。
「…そーいえばナミさん、昔の漫画に出てくる“骨付き肉”がどうとか言ってたようなァ…?」
骨付き肉…?
フライドチキンみたいなものか?と、頭を悩ませるサンジ。
と、そこへ…
「サンジ君〜、最近一年の子にご執心なんだってねぇ〜」
この甘ったるい声は…と見上げると、コクリと小首を傾げたクラスメートの女の子がメモ帳を覗き込んできた。この前バックとパンプスを買ってあげた子だ。
肉料理のレシピばかり並んだメモ帳を覗き見して、彼女はうっと顔を顰め、『やだー、脂っこそ〜…』と呟いた。すると彼女はサンジの手からメモ帳を取り上げてしまい机の隅に置いてサンジの首に手を回した。
必然と彼女の胸は背中に当たる…。
勿論、彼女が意図してやっている行為だと、サンジは気付いていた。
「ねぇねぇサンジ君、今日一緒に帰らない?」
ぐりぐりと豊満な胸を押し付けて、女性をアピールする彼女。
以前ならば鼻の下を伸ばして2つ返事で承諾していた場面、しかしサンジは閉じられてしまったメモ帳に目線をやってはムッと表情を歪めた。
「…ゴメンね?今日はこれから用事があるんだ」
「えぇーーっそんなぁ、行こうよぉ〜!」
なおも彼女はサンジの気を引こうと食い下がってくる。サンジが好みそうな可愛らしい女の子を演じながら。
が、サンジは今それどころじゃないのだ。一刻も早く、この場を去って調理室へ向かいたかった。
確か今日は空手部は休みのはずだったから、部活のない放課後に学校に留まる理由は少ない。下手をすれば、もうルフィは帰ってしまっているかもしれないのだ。
急がねばと席から立ち上がったサンジは自然な動きで腕に擦り寄っていた彼女を振り払った。え、と驚愕してみせた彼女にニコリと笑いかけて。
「じゃあ、オレもう行くから、」
「え、サンジ君!?」
驚く彼女を置いて早々に教室を立ち去ろうと足を速める。少しでも時間が惜しい。調理室に着くまでの時間もそうだが、料理には調理する時間が必要なのだから。
と、教室を出ようと扉の前に着いた時。ふたたびデジャブを感じさせる光景が広がっていた。
「・・退いてもらってもいいか?」
「・・・。」
クラスメートの男子達が心底嫌そうな顔をしながらも道を開けてくれたので、
通り過ぎざまにサンジは男達に振り返り、
「話の邪魔して悪かったな。」
と済まなそうに男達へ声をかけたのだ。彼等は唖然とした様子でサンジを見ている。
それはそうだ。あの男嫌いのサンジが、軽くだったとしても頭を下げたのだから。驚かないはずがなかった。
が、サンジは男達の様子を気にとめる事なく早々に教室を後にし調理室までの道のりを急いだ。
「・・・・・・。」
その一部始終を教室の隅でじっと見ていた一人の男は。
ゆっくりと席を立ち『急にどうしたんだ、アイツ…?』とざわつく男達の間をすり抜けるように教室を出て行った。