食うか、喰われるか Epilogue





= エピローグ =


「一先ず上手く云ったってトコか…。で?
テメェの失ったモン、何か分かったのか?チビナス。」
「チビナス云うんじゃねェクソジジィ!…あぁ。クソジジィと、…ルフィのお蔭でな…。」

週の終わりにサンジは再びバラティエを訪れていた。
蜘蛛の巣が絡みついたフライパンに手を伸ばし、サンジは使われなくなって久しいコンロの前に立ってそのフライパンを振るう真似事をしてみせる。

「ほんの少しでもいい。憧れのバラティエのコック達に一日も早く近づきたくて。
やっと包丁を扱わせてもらえるようになったばかりの粋がったガキと、何十年も調理場に立つ大人達とじゃ、技術面では到底追いつけない。
自分を認めて欲しいが為に、オレだからこそ出来る過った方法で駆け上がろうとした。」

それが、財力を武器とした高級食材のみを余すことなく使った、見栄えと高級感だけに彩られた、中身のない料理達。

「…いつの間にか、食材を高価なものにすれば必ず美味いものが出来ると、思い込んでた。
どんな食材も、料理人の腕と知識、料理に込める想い次第で幾らでも美味いメシが作れるってことを、オレは忘れちまってた…。」

見てくれだけを繕った料理では、相手の心を真に打つことは出来ないのだと。

―― そう、ルフィが教えてくれた。

「クソジジィ。オレはいつか世界一の料理人になってやる…!
何処の誰が食っても、必ず本心からの“ウマイ”の一言を引き出せるような、一流のコックに…!!」

フライパンを握った手とは反対の手でグッと拳を握ったサンジ。

その姿に、かつて料理のリの字も知らない純粋無垢な子供が、大人のコック達相手に「いつかここに居るコックよりもすごい料理人になってやる!」と大口を叩いた時のことをゼフは思い出した。
多忙な両親に代わって自分の世話をしてくれたコック達への憧れと尊敬の念から思いつきで云ったのだろうと、あの頃は笑って流していたけれど。
今のサンジは、紆余曲折しながらも一つ大きな山を越えてあの頃と変わらぬ夢を、その心に抱き続けている。

子供のように無邪気に、けれど揺ぎ無い信念を携えた彼に、もう迷いはない。

サンジの倍以上も人生を歩んできたゼフからすれば、まだまだ青臭いガキ。技術も、センスも、まだまだ自分には程遠い。
しかし、サンジはまだ若い。これからいくらでも化けるチャンスはあるのだ…、今日のように。

料理人として新たな一歩を今まさに踏み出そうとしているサンジ。
ゼフは、そんな彼の姿に、あらぬ期待を抱かずにはいられなかった…。


“もしかすると…、俺を超える料理人が、今この瞬間生まれた”
かも、しれないと…。


「そうかい。そりゃ、随分とデッケェ夢ができたもんだな…。」

これでようやく最後の心残りが…。自分の役目は此処までだと云わんばかりに、ゼフは丸椅子から腰をあげ自室へと戻ろうと踵を返す。
が、その背を呼び止めるサンジの声が厨房に木霊する。振り返ったゼフに、真っ直ぐ向き直ったサンジは、フライパンを調理台へと置き、姿勢を正した。

「そこで、ジジィに一つ頼みがある。」
「あ?」
「もう一度、この店…“バラティエ”のオーナーとして、店を開けてほしい」

思いも寄らぬ申し出に、ゼフは目を丸くする。
しかし、ゼフの戸惑いを他所に、サンジは深々と頭を下げ、お願いします!と声を荒げた。

「何云ってやがんだチビナス。いいか?この店はもうとっくの昔に潰れ、」
「必要な資金はウチが出す。親父もお袋も、この店を気に入ってた。ちゃんと筋を通して話をすれば了解してくれるはずだ」
「テメェ…っ、俺の話聞いてなかったのか!?俺は誰の助けもっ」
「聞いてたさ、それを承知で云ってんだ、最後まで話を聞けよっ!!もう一度この店を再開して、そして、いつの日かジジィがオレを一人前の料理人として認める日がきたら、その時は…っ!」
「その時は…、なんだァ?」

訝しげに眉をひそめたゼフに、サンジは意を決したように答える。

「この店を、…譲り受けたい。」
「・・・!?」
「オレがオーナーとして、この店を仕切れるような器になって帰ってくるまで!
クソジジィ…いや、オーナーゼフには、この店を守ってもらいてェんだ…!かつてこの調理場で共に闘っていたコック達全員で…!」

何年、何十年掛かるか分からない。
根拠もない、来るかも分からない漠然とした未来を押し付けることになっても。

(いつか必ず、オレはこの場所に還ってくる。…この場所こそが原点であり、そして終点でもあるのだから…!)


口約束しか出来ない事を歯がゆく感じながらも、サンジはその真剣な想いをゼフに伝えようと必死に頼み込む。
だから、気付かなかった…。サンジの、すっかり広くなった背を見つめながら、ゼフがその瞳をじんと潤ませていた事に…。


-*-*-


「…へぇ〜、んじゃあ学校卒業したら、その店で働くのか?」
「まだオレの実力じゃ無理だ。一から勉強して、実戦を重ねて…もっと努力しねェと。」
「こんなにうめェのに、まだまだなのか…信じらんねぇ」

フォークにぶすりと刺したステーキを大口を開けて頬張るルフィの姿に、知らず知らずにサンジは頬を緩ませた。
ルフィが自分の料理を食べている姿を眺めることが、何よりの至福の時間なのだと気付いてしまったサンジは、時折ルフィを自分の家へと招き、その至福の時間を思う存分堪能するようになっていた。
家に連れ込んでしまえば、数多のライバル達に邪魔される心配はないし、好きなだけ二人きりで居られる。

(…ルフィからしたら、ただ“味見”しに来てるだけなんだろうけどなぁ…。)

ルフィに気付かれないよう一人溜め息を零していると、横から唸り声が聴こえてきてハッと顔をあげた。

「ん、どうした?…口に合わなかったか?」
「や…そーいうんじゃなくて。…んじゃ、やっぱりサンジも“リュウガク”とかすんのかなァーって。」
「留学…あー。一応考えたことはあるけど、…今すぐは、しねェんじゃねーかな。」

チラリとルフィの横顔を伺いながらそう答えたサンジに、ルフィはパァと華が咲いたように微笑んでみせた。
急な笑顔にサンジがドギマギしていると、フォークを手放したルフィがむぎゅっと抱きついてきた。…これにはサンジもパニックを起こした。

「わわ、わぁあっ!?!」
「そっか!サンジは留学しねェのかっ!!!…良かった!」
「そそそ、そんなに喜んでもらえるとは……ん?…サンジ“は”?…誰か留学するのか?」
「おぅ…エースが。」

犬の耳が付いていれば、シュンと垂れ下がっていただろう。首に腕を巻きつけたまま落ち込むルフィに、サンジは複雑な想いに駆られた。
ルフィを溺愛する兄、エース。ルフィと交流する上で必ずといって話題に上ってくるその男の存在は、ルフィに好意を抱いているサンジにとっては非常に面白くなかった。
そのエースが来年から海外の学校に移るという吉報に、勝ち鬨をあげたい所だが、兄を心から慕うルフィの辛い心中を思うと心が痛くて仕方が無かった。

「…そりゃ、寂しくなるな。」
「……おう、…」

ルフィを知るにつれて分かってきたことだが、彼は思ったよりも寂しがり屋で、心を許した相手にはとことん甘えようとする部分があった。
べったり引っ付いたルフィを剥がすような真似はせず、サンジは腕を回してルフィの背中をゆっくりと撫でてやる。

「…しし、あったけぇ…」
「気分が落ち着いたら、ルフィが元気になれるようなクソうめェ飯、いっぱい作ってやるからな…。」
「ありがとな…、サンジのそういう優しいトコ、おれ大好きだぞ…」
「っ…!?!!」

カァーっと表情が紅くなったサンジを見上げ、ルフィは嬉しそうに笑みをみせた。
ぐいと首を伸ばし、真っ赤な頬へと口付けを2,3回落とせば、サンジは面白いほど敏感に反応してみせた。

「おま…え…、それ、狙ってやってねェだろうなァ…!?」
「??何がだ?」
「ぐっ…、…もう、いい…分かったから、さっさと離れてオレに飯を作らせろっ…!!!」

ガクンと項垂れたかと思いきや、うがぁーっ!とわけのわからない叫び声をあげながらもがき始めたサンジ。
しかし、回されたままの腕は解けることはなく、変わらずルフィの背中を擦っている。


愛とか、恋とか…そういうのとはまだちょっと違うかもしれないけれど。


「サンジごと食っちまいたいぐらいダイスキだぞーっ!」
「ああありがとよっ!!分かったからとにかく、離れろォーっ!!頼むから離れてくれェーっ!!」


自覚がないだけで、案外もう愛し合ってるのかもしれない。
…お互いに。




《Epilogue》